2011年12月3日、ジャマイカで〈XTERMINATOR〉のPHILLIP "FATIS" BURRELLが亡くなりました。57才だったそうです。

 〈XTERMINATOR〉は、80年代に〈KINGS & LIONS〉〈VENA〉を経てFATISが設立したレーベルです。数多くの作品で知られていますが、特にLUCIANO、SIZZLAをブレイクさせ、90年代の一大「ラスタ・ムーヴメント」を牽引した活動で語られることが多いです。FATISはプロデューサーとしてだけではなく、長くLUCIANO、SIZZLA他のマネージャーも務め、彼らの世界的な活動をサポートし続けたことでも知られています。


PHILLIP“FATIS”BURRELL
back:FATIS front:SIZZLA

  自分がFATISと初めて会ったのは91年で、それは偶然の出会いでした。僅かな貯金と有給休暇をはたいて、個人旅行として行ったジャマイカの「REGGAE SUNSPLASH」の会場でした。約一週間続いたイヴェントのある日、朝方に客席のハズれの楽屋へと続く砂利道で偶然に知り合いに会いました。その知人が紹介してくれたのが、その横に立っていた大男、FATISでした。


  とにかく「デカっ!」でした。2メートルは大袈裟かもしれませんが、見上げる感じでした。また、「FATIS」の愛称の通りに、太っていると言うか、迫力満点の体型でした。そして、その身体と比例するように、その態度も「デカっ!」でした。初対面である自分を鋭い眼光で上から睨みつけ、何の用件かも伝えないままに彼が宿泊していたホテルに「来い」と一方的に“命令”されました。


  行きませんでした。その指定された日時にはモンティゴ・ベイからキングストンに日帰りの観光に出掛けることにしました。その観光を「REGGA SUNSPLASH」観賞と同じぐらい楽しみにしていたこともありますが、それ以上にFATISの強烈な威圧感に恐怖感すら感じて、とても行く気持ちにはなりませんでした。連日「ランキン・タクシーに金貸したからお前が返せ」と付きまとう嘘つきなチンピラ達や、「マ●コ、マ●コ」と連呼してくる陽気な売春婦達も面倒臭かったですけど、そんな人達とは全く違う本当の面倒に巻き込まれる「危険」を感じてしまったのです。「行きます」とは言いましたけど、同時にトンズラも決め込んで、それを迷うことなく実行したのでした。


  その翌年にFATISは来日しました。「REGGAE JAPANSPLASH」で来ていました。その最終の横須賀公演の翌日に、当時付き合いがあった日本在住のジャマイカ人から連絡をもらいました。「昨日、FATISに楽屋で殴られた」「FATISにレコードを預けられて、それを売り捌けなかったことを伝えたら、一方的に殴られた」「設営用に埋められていた木のこん棒を地面から抜いて、それで殴られた」・・。彼と一緒にいた人からも同じ話を聞いたので事実だと思いました。あのジャマイカの時のFATISの目を思い出して寒気がしました。また、あの時に自分がFATISの“命令”に従わなかったことを「正しい判断」と思いました。それによって、自分の中では「FATIS=デカっ!」以上に「FATIS=怖っ!」な存在として強くイン・プットされることになりました。理由はどうであれ、「こん棒で」「人を殴る」・・、しかも「地面から抜いて」・・、「日本のショーの楽屋で」・・。無理です・・。


  その当時のレゲエ・シーンは、TONY label、GARNETT SILKをはじめとするラスタ・アーティスト達の登場と活躍で、SHABBA RANKSやNINJAMANを筆頭としたガン・トーク/バッド・ボーイ/スラックネスの全盛時代から変わりつつある時期でした。〈XTERMINATOR〉がラスタ・シンガーとして、LUCIANOをブレイクさせる時期でした。ただ、その時点で既に〈XTERMINATOR〉は、BERES HAMMONDやCOCOA TEA他の秀逸な作品・楽曲をリリース、ヒットさせ続けていて、〈PENTHOUSE〉〈DIGITAL-B〉〈MUSIC WORKS〉〈STEELY & CLEVIE〉等の当時のトップ・レーベルを追撃するビッグ・レーベルへと成長していました。リアル・タイムでその時代を過ごしていた自分にとっても当然重要で大好きなレーベルでした。ただ、その中心人物がFATISと思うと、少し複雑な気持ちにもなっていたりしました。「コンシャスで大好きなレーベルなんだけど、FATISって・・」でした。


COCOA TEA
『HOT SWEET COCOA TEA』

COCOA TEA / TUNE IN
TUNE IN / COCOA TEA

GREENSLEEVES / GRELCD200

COCOA TEA
COCOA TEA

  その当時の自分の『できれば関わりたくない人ランキング』の第1位を2位に大差をつけて独走していたFATISと関わらざるを得なくしたのはCOCOA TEAでした。またあの人です。この連載の第二回目で、COCOA TEAが自分が手掛けた93年の来日ツアーを途中でブッち切って帰国してしまった「事件」のことは伝えてますが、その「事件」がきっかけとなりました。そして、その「事件」を埋め合わせるべく、COCOA TEAの作品を作ることにしたことも連載の第三回目で伝えてますが、その作品『HOT SWEET COCOA TEA』が「関わります」になりました。


  「作品を〈XTERMINATOR〉で制作する」はCOCOA TEAの要望でした。前述の通りに、当時〈XTERMINATOR〉はCOCOA TEAのヒットを量産しており、その拠点となっていたレーベルでした。また、互いにラスタで世代も近いことからか、COCOA TEAはFATISに対して絶対的な信頼を抱いている様子もありました。「FATISと作る」「〈XTERMINATOR〉しかない」と本人は考えていました。


  その判断は正しくも思えました。ただ、同時に酷く「賭け」にも思えました。現在でもジャマイカとの仕事は「前払い」で行われることが多いですが、当時はよりそうでした。その時点では、あの「事故」の強い後遺症もあって素直にCOCOA TEAを信用する気持ちにはなれませんでした。また、プロデュース能力はともかく、「怖っ!」なFATISを考えると、とても揚々と予算を送る気持ちにもなれませんでした。「最悪持ち逃げされたら、今度こそ間違いなく会社を首になるな」と思いました。


  そんな不安と迷いを抱えたまま「〈XTERMINATOR〉で制作する」は具体化を増していき、自分もズルズルと流されるままに会社から予算を得る段取りもつけてしまい、あとは「FATIS次第」ということになってしまいました。『できれば関わりたくない1位』と直接話す機会がやってきてしまいました。


  それは深夜の電話でしたけど、電話でもFATISは無愛想で高飛車で態度も「デカっ!」で「怖っ!」なままでした。とても「一緒にお仕事しましょう」な雰囲気ではありませんでした。「電話に出ているのもCOCOA TEAの頼みだからだ」「お前からの依頼は受けない」「そんな金額なら受けない」「人からは指図はされない」「俺はCOCOA TEAといつでも作品が作れる」「それをお前に渡す理由は俺にはない」、そんな言葉の繰り返しでした。少しでもその空気と交渉を軟化させるために、「FATISさん、実はジャマイカで以前に会ってるんです」とFATISがそれを絶対覚えていないと信じて、また「そうだったかい? それはそれは」と少しでも態度が変わることを期待して言ってみたら、「知っている。でも、お前はホリデー・インには来なかった」とバッサリ斬られて完全に玉砕してしまいました。


  それから何度か電話しました。ずっと同じ態度と印象のままでした。電話を取り次いでくれる小僧の息子の態度も一緒でした。それでも結果としてFATISは仕事を受けてくれることになりました。COCOA TEAの介入と、「親友であるCOCOA TEAの日本での信用を取り戻す」ことを理由に「受けない仕事を受けることにする」となりました。しかし、それで安堵できたわけでは到底なく、FATISの「金を受け取るまでは何もしない」に、「ああー、コレでもう後戻りできないコトになったんだ」と追い込まれた気持ちにもなりました。「ホントに作品は作られるのか?」「COCOA TEAとFATISにまんまと騙し取られて終わるかもしれん」の不安は拭えません。あの「事件」の時には車とかを手放したりもしましたけど、もう色々と返済を求められてもそれに当てるものなんて持ってませんでした。


XTERMINATOR
ISRAEL'S KING / COCOA TEA
ISRAEL'S KING / COCOA TEA

VP RECORDS / VP1462 / 1996

FEEL THE POWER / COCOA TEA
FEEL THE POWER / COCOA TEA

VP RECORDS & XTERMINATOR / VP1626 / 2001

SAVE US OH JAH / COCOA TEA
SAVE US OH JAH / COCOA TEA

VP RECORDS / VP1736 / 2006

ONE WAY TICKET / LUCIANO
ONE WAY TICKET / LUCIANO

VP RECORDS / VP1386 / 1994

WHERE THERE IS LIFE / LUCIANO
WHERE THERE IS LIFE / LUCIANO

ISLAND / MAN539957 / 1995

MESSENGER / LUCIANO
MESSENGER / LUCIANO

ISLAND / MAN524264 / 1997

LIVE / LUCIANO
LIVE / LUCIANO

VP RECORDS / VP1602 / 2000

BOOM BOOM BYE BYE / SANCHEZ
BOOM BOOM BYE BYE / SANCHEZ

GREENSLEEVES / GRELCD186 / 1993

PRAISE HIM / SANCHEZ
PRAISE HIM / SANCHEZ

VP RECORDS/ VP1456 / 1995

FREEDOM CRY / SIZZLA
FREEDOM CRY / SIZZLA

VP RECORDS / VP1536 / 1998

GHETTO REVOLUTION / SIZZLA
GHETTO REVOLUTION / SIZZLA

GREENSLEEVES / GRE269 / 2002

RISING SUN / CHEZIDEK
RISING SUN / CHEZIDEK

XTERMINATOR & VP RECORDS / VP2259 / 2005

SONGS OF SOLOMON / TURBULENCE
SONGS OF SOLOMON / TURBULENCE

VP RECORDS / VP2282 / 2005

  「怖っ!」だけど、「ジャマイカに行って、レコーディングに立ち合って、自分でマスター・テープを持ち帰ってくるしかないか」とも思いました。現在と違って、メールもなく、携帯もアバウトな当時はレコーディングの進捗をオン・タイムで把握することは困難過ぎました。でも、それをFATISに伝えたら、「お前が来て何になる?」「お前が来ても一曲も作れない」、あと「そんな無駄な金があるのなら送れ」と無下に拒絶されてしまいました。自分の責任を考えれば、それでも行くべきだったのは理解はしていました。ただ、またやはり最後はその「怖っ!」にビビって行ませんでした。「絶対会いたくない」「痛いのは苦手」「死ぬぐらいなら首になった方がいい」って本気で思ったりもしていました。


  しかし、そんなことを女々しく考えている間に、次々とDATテープが届き始めました。FATISは、他の誰よりも仕事は早く、また確かでした。「人から指図されない」「好きなものしか作らない」と言われていましたけど、自分が「改めてCOCOA TEAの魅力を現在の若いダンスホール・ファンに伝えたい」と依頼した「Hot Sweet Cocoa Tea (Come Again)」「Tune In」「Love Me Truly」等のセルフ・カヴァーも黙って作ってくれていました。合わせて「日本のファンに向けての曲が欲しい」にも「Arigato」を黙って用意してくれていました。その他「Good Life」他、ヒット曲となる新曲も多数用意してくれていました。勿論、どれも〈XTERMINATOR〉で。あの80年代のルーツ・ロックを継承した、生音を多用した重厚で丁寧な〈XTERMINATOR〉ならではの音で完璧に作られていました。自分のクズな部分はさっさと忘れて、「よーし!」と勝手に喜んでました、いや「安心していました」が正しいです。会社に聞かれても「ええ、順調っすよ、行かなくても作らせてますから」と勘違い&恥知らず全開のお調子者でした。現在ならこん棒で殴りたくなるタイプです。


  唯一の失敗は、自分が作品の制作期間中のクリスマス時期に、他の海外関係者に送るのと合わせてFATISにもクリスマス・カードを送ったことでした。自分から連絡してこないFATISがしばらくしてから連絡してきて、「嬉しくない」「祝わない」と言われました。作品がほとんど完成していた頃でした。その時にラスタにも様々な価値観や教義があることを改めてFATISから教えられました。また「クリスマス・ソングを歌っているラスタのアーティストは?」と質問しかけたら、「歌っている奴に聞け。そいつにはそいつの事情がある」と遮られました。そして、その会話の中で「相手を理解しないと正しい関係は築けない」「自分の都合ばかりを押しつけても誰も耳を貸さない」「相手のことを考えろ」とも言われました。最初は「叱られちゃったよ」でしたが、言うまでもなくFATISの言う通りで、自分の傲慢と無知を恥じて、それをわざわざ忠告してくれたことに強く感謝しました。また『HOT SWEET COCOA TEA』を作っていた時に、FATISが自分に対して感じていた不信感や苛立ちも理解して、それでもきっと「アイツではない。COCOA TEAのためなんだ」と無理にでも気持ちを押し殺して黙って仕事してくれたと想像しました。それが「怖っ!」だったFATISの印象を変えることになりました。


  FATISとの仕事はこれが最初で最後でした。唯一の仕事は会わないままに完結してしまいました。しかし、それをきっかけに何度か会うようになっていきました。


  海外でもですけど、特にLUCIANOやSIZZLAと来日した時には必ず「来い」と“命令”されてホテルの部屋に呼び出されました。適度に緊張して会っていました。「怖っ!」ではなく、尊敬する先輩と会う時は少し緊張したりします。ただ、いつも「来い」とは言うけど特に用件はありませんでした。時には呼んでおきながらグーグー寝られてしまったり、自分に関係のない話を延々とされたり、ただ黙って一緒にテレビを見て終わったこともありました。「寂しがり屋?」と思ったこともありました。


  ある時は不運にも同席してしまったSIZZLAがFATISの長い話の途中で「寝落ち」してしまい、突然FATISに枕を投げつけられたこともありました。一瞬「キターっ!」と「怖っ!」が復活しかけましたけど、「寝るなら枕を使え」だった様子で、「なんて表現が不器用な人なんだろ」と呆れたりもしました。


  またある時は「COCOA TEAに電話する」とジャマイカに電話して、受話器を代わる代わる三人で話したこともありました。電話を切ってから「COCOA TEAとはずっと仲良しですね」と言ったら、「ああ、たまに金にうるさく言う時もあるけど親友だ」とボソッと言われました。で、帰ろうとしたら「さっきのCOCOA TEAとの電話代だけフロントで払ってくれ」と言われて、「だから二人は仲良しなんだ」と思いました。「怖っ!」ではありませんでしたけど、そのままフロントに寄らずにトンズラして帰りました。


  またある時はカメラを向けたら怒られました。実際にFATISの写真は世界でもほとんど撮られていなく、大の写真嫌いとして有名でした。色々とその理由は伝えられていますが、本人からは聞いたことはありませんでした。写真が嫌いなのを知りつつも、それでも「一枚だけお願いしますよ」と頼んだら、「ダメだー!」とあの目で睨まれて、カメラを奪われました。そして、「代わりにお前を撮ってやる」と言うので、「やめてくださいよ」と言ったら、「ほらな、お前も嫌だろ? だったらするな」とボソっと言われました。それでも「歴史的なプロデューサー」としてショーの現場とかでも隠し撮りを試みましたけど、なかなか隙を与えてはくれませんでした。マイ・デザイナーの茂呂千里もトライしましたけど、見つかって叱られました。ただ、「俺を撮るならコイツを撮れ」とエンジニアのSOLJIEを連れて来てもらえた茂呂はラッキーだったハズでした。でも、そうやっていつも「撮らしてくれないな〜」でしたけど、女の子とFATISが一緒に撮っているのを見たことはありました。肩とか組んだりして。


  FATISとはそんな時間を過ごしたこともありましたけど、よくわからない人でした。よくわからないんので、人に聞いてみたりもしてみました。

  〈XTERMINATOR〉のプロダクションに参加していたTHIRD WORLDのSTEPHEN "CAT" COOREは「FATISの支払いは最悪だぜ」と笑いながらも、「でもな、アイツはいつも最高のレコーディングをさせてくれる。楽器もエンジニアも出来ない男だけど、音楽を知っていて、それをどうすれば作れるかも知っている。つまりミュージシャン達が真剣に音楽に向える環境、自由な現場を奴は用意してくれるんだ」と言ってました。「ギャラを受け取りに行ったつもりが、またそこでギター弾いてたりしてるんだよ」と大笑いしていました。


 〈XTERMINATOR〉の音を支えたDEAN FRASERは「オリジナリティを大切にする人」「新しい才能を育成するのに長けた人」とだけ話してくれました。あまり話したくなさそうでしたが、その代わりに「FATISからLUCIANOのバンドを結成するのを依頼されたんだ。でも、FATISがコーラス・グループとして連れて来たのは素人の女の子達だった。昼間は別の仕事で働いているような子達だった。『本気か?』って聞いても『そうだ』としか言わない。その彼女達に基礎から歌のレッスンをするのは大変だったよ。でも、そこにFATISの狙いがあったんだ。彼女達に練習させていると、若い男のアーティスト達が見に来るんだ。最初は女の子目的の冷やかしのつもりだったんだろうけど、彼女達が上達していくのを見て、次第にそれをみんなが意識して、僕が彼女達に教えることを一緒に聞きながら学ぶようになっていったんだ。男のアーティスト達をまとめて上達させる教える方法としてFATISはそうさせたんだよ。本人に確認はしていないが、きっとそうだよ。いつもアイディアとビジョンを持った男だからね」と素敵なエピソードを教えてくれました。


  この二人とは真逆に、色々と悪口を言う人達もいました。LUCIANOが〈XTERMINATOR〉を離れ、SIZZLAも色々とあった頃には、色々な噂話も聞こえてもきました。ただ、ジャマイカのトップ・プロデューサーですから、色々とあるのは当たり前です。色々と修羅場やトラブルがあっても驚きません。

  FATISがホントにはどういう人だったかは、わかりません。ただ、自分にとっては結局「良い人」でした。「関わりたくない1位」だったのに、自分がしくじった「事件」の尻拭いをしてくれた恩人でした。至らない自分に色々と教えてくれた先輩でした。ベタベタすることもなく、笑うことも少なく、無愛想で態度も大きく、面倒な部分もあったのは事実ですけど、振り返ると何一つ悪い思い出なんかありません。わからないのですけど、「無骨で不器用で誇り高いラスタ親父」と愛情を込めます。


  FATISは素晴らしい作品、アーティストをたくさん残してくれました。自分がずっと聴き続けるだろう楽曲を大量に残してくれました。それを尊敬して、感謝しています。自分の人生を豊かなものにしてくれました。また、その偉大なるプロデューサーだったFATISが、COCOA TEAと一緒に自分の「ヤワタ」に引っ掛けて「EYE-WATER(アイワーター=涙=泣き虫=ヘナチョコ野郎)」と渾名をつけてくれたことも、現在となっては誇りです。二人の前で泣いたことはなくても、ヘナチョコ野郎だったことは間違い無いです。もし、今後に自分がマイクを握る機会があれば、その芸名でいきます。名プロデューサー達から授けられた名前なのでブレイク必至です。


  亡くなった理由も現時点ではよくわかりません。「脳梗塞」「心臓疾患等」等、死因も色々と伝わっています。ただ、「亡くなる二週間前に脳梗塞で倒れて病院に運ばれ、やがて容態が悪化して亡くなった」のは本当の様子です。それを伝える複数の報道を追っていたら、「病院にはCOCOA TEAが連れて来た」と伝えているを見つけました。それが事実かどうかはわかりません。また、COCOA TEAに確認することでもないようにも思いました。でも、それを見つけて、何か少しだけ救われる気持ちになりました。何か大切なことをまた教えてもらったら気持ちにもなりました。FATISと少しでも関われたことも誇りに、喜びに思います。


  ありがとう、FATIS。


  さようなら。


文責:八幡浩司(24x7 RECORDS., INC.)



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