あー、前回の更新が6月のT.O.K.の来日の時のコトかぁ。あー、なんか久し振りかもね。まっ、日々「DAILY NEWS」を書いてるから、とりあえずはココ最近は、そんな感じでやってまーす、と。 で、T.O.K.の来日の時から現在までの間のコトと言えば、短いけどそれなりに色々とありましたな。で、既にもう随分と前のコトのような気もするけど、7月のジャマイカ/キングストンへの海外遠征が、その中ではやっぱ一番印象的かな。 えー、携帯やメールとかが普及してくれたことで、以前に比べて海外遠征に行く回数も減っていますね。昔話になるけど、レゲエ仕事を始めた当初は、携帯もメールも無くて、ジャマイカへの連絡はFAXか電話がほとんどでした。 で、当時のジャマイカでは、FAXもだけど、一般電話を持っていない人が多くて、FAXとかは「ジャミンテル」とかいう会社宛に送って、現地でそれを受け取りに行ってもらったりしたケースもありました。受け取りに行く人は、受け取る際にそこでお金を払うんだけど、「その金を払いたくない」とか、「そこまでの交通費がない」とか言われたり、それ以前にそこにFAXを送ったことを伝える術が無かったりで結構大変でした。あと、「自宅に電話がない」とかで、電話がある人の電話番号を教えられて、そこに日時を決めて電話してみたりもするんだけど、なんせジャマイカン・タイムなので、指定された時間に電話しても「来てない」と言われて、連絡付かないこととかも多くて、これまた結構大変でした。時差もあるので、電話一本のために徹夜とかも多かったですね。自宅の電話代も一月で9万とかもあって、当時の会社に「なんとかしてー」と頼んでも、「そんな連中を相手にしてる方が悪い」とかで、結構痛かったね。給料の半分が電話代だったりとかね。 で、そんな感じだから、なかなか仕事が進まないから「もー、現地に行くしかないな」となって、それこそ多い時には年に5回ぐらいジャマイカに行ったりしてました。契約の話をするのに会いに行って、契約書を持参して会いに行って、マスターを受け取りに会いに行って、そしたら「出来てる」って言ったのに出来てなかったりして、また行ってとか、そんな感じでした。リリースするのに時間が掛かったもんです。うん、当時は現在みたいに、音源がメールで届くなんて考えてもみなかったですね。 ただ、そうした時代での経験、現地で過ごした時間が自分にとっては大きかったとも思います。良いコトばかりばかりじゃ決して無く、嫌なコトもたくさんありました。と言うか、正直嫌なコトの方が多かったです。 「契約」とか「お金」が絡むと、色々と大変なコトもありますし、日本で会うのと、ジャマイカで会うのとでは違ったりすることもありますし、色々な行き違いや勘違いで恨まれたり、脅されたりとかもあったりで、上手くいかないコトの方が多かったです。何時間も空を飛んで、自分が好きだったアーティストとかに現地でボロクソ言われたり、面倒なコトに巻き込まれたりすると、さすがに凹みます。傷つきます。で、「ホテルで一人で凹んでいても仕方ない」と、気分転換に街に出掛けたら、チンピラ君達に囲まれて、ナイフとか突きつけられると、「もう、ジャマイカなんか島ごと沈んでしまえ!」とか思ったりもしたもんです。
色々と存在する「違い」、それを頭で理解しつつも、感覚として身につけていないと、本当の意味では理解にはならない、とか、相手に合わせるだけでは、相手に理解をしてもらえない、とか、あと、「理解している」という思い上がりと勘違いが距離を遠ざけたりする、とか、そうしたコトを理解してなかったりすると、自分勝手な独り相撲になるというコトとかを全然理解してなかったんですな。
また、疑うコト、それは確認するコトでもあるんですけど、その大切さとかも理解してなかったんですな。ジャマイカやレゲエには、日本や日本の音楽業界のように、たくさんの矛盾があります。正義と正論だけでは成り立っていません。そこが魅力でもあります。ただ、「好き」な気持ちが強いと、その矛盾すらも美化してしまうコトがあります。それを正しいコトと「好きだから」だけで無理矢理受け入れようとする自分の不正義が存在してしまう場合があります。見えなくなる、ってことですね。で、それを疑って、確認しないといけないんですけど、それがその当時は出来なかったりしちゃってたんですな。「ジャマイカではこうだから」「レゲエはこうだから」と他人にもですけど、自分までも誤摩化して、臭い部分に蓋しちゃうのは簡単なんですけど、それは何一つプラスにはならないですよね。それを理解してなかった。 で、まっ、なんて言うか、結局、ジャマイカで自分が学んだのは、「レゲエ」や「ジャマイカ」の知識だけではなくて、それよりも「ダメな自分」なんですな。「仕事して来たぜ」「やっつけて来たぜ」と帰国しつつも、どっかで「最低だ」「最悪だ」と自分自身の不出来に凹んだもんですな。嫌なコトの原因の大半は自分にあったことを知るんですな。 で、「クソ面倒くせー」と「レゲエ」や「ジャマイカ」から離れたくなったこともありました。何度も「早く帰りたい」「あと何日で帰れる」と過ごしたジャマイカ遠征がありました。でも、キングストンに行かれた方なら分かると思うんですけど、あのキングストンの街を出て、空港に向かう半島のように出っ張った道があるんですけど、そこを走っていると、なんか不思議な気持ちにさせられるんです。 対岸に見えるさっきまで居たキングストンの街は、決して自分のホームでもなく、色々と嫌な想いもさせられたのに、郷愁に近い、不思議な切なさみたいなもので胸が締め付けられるんです、自然と。で、「二度と来るか!」と思ったハズなのに、飛行機がキングストンの街の上空に出ると、「今度はいつ来れるんだろ?」と思ってたりするんです。日本までの経由地となるマイアミなり、ニューヨークに着くと、そのキングストンとのあまりな違いにクラクラしつつ、「キングストンに戻りたいぜ」とか思ったりするんです。不思議です。そう、とっても不思議。 で、「なんでレゲエに携わる仕事を続けてんのか?」と考えると、結局はこの「不思議」の理由を知りたいだけなのかもしれません。それは「レゲエ」とそれが生まれた「ジャマイカ」の魅力を知りたいと言うことだけではなくて、あくまで自分自身として、「その何に」、「どこに」、「どうして」といった部分を追究することで、それに惹かれる自分自身というものをより知れるかな、と。つまり、自分自身は何者で、どういう人間なのかを知りたい、って感じなのかもしれません。 誤解無いように確認しておくと、「レゲエ」や「ジャマイカ」にハマっているコトは間違いないです。ハンパなく。でも、「レゲエ」や「ジャマイカ」が伝えるカルチャーやメッセージに自分自身を依存させようとは思いません。ただ、「レゲエ」や「ジャマイカ」が自分自身を形成するのではなく、「レゲエ」や「ジャマイカ」を知っていることで、より豊かな自分自身が形成出来ればと思う感じなんです。で、その上で「レゲエ」や「ジャマイカ」はあまりにも魅力的なんです。自分自身の色々なコトを教えてくれるんです。自分と向き合わせてくれるのです。それでも、幾らレゲエを聴いても、ジャマイカに飛んでも、「不思議」は、ずっと「不思議」なままに、なかなか明確な答を自分には与えてくれません。で、それが面白くて仕方ないんだと思います。分からないコトが面白いんです。知らないコトを知るコト、h?知らない自分を知れるコトが面白いんだと思います。だから続けているんです、多分。 今回のジャマイカ遠征は、もしかしたらこれまでの数十回の中でも一番でした。「あー、帰りてぇぜ。バカヤロー」は一度も無かったです。そこに自分の成長を感じました。それでもまた自分を自分で発見する機会はたくさんありました。正直、そんなに無理に行く必要もありませんでした。携帯もメールもある時代ですから。それでも行ったのは、自分のためです。その上で、とっても良い遠征でした。 「今度はいつ来れるだろう?」ではなく、「また来るぜ。待ってろジャメーカ」な気持ちで島を離れました。楽しかったです。短かったけど、映画みたいな毎日でした。自分が主役になれてる時間がありました。まっ、自分の人生なんだから、そーじゃないとね。 そんな感じ。ではでは。 八幡浩司(24×7 RECORDS., INC.)
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