藤川毅のレゲエ 虎の穴 番外編〜原点回帰とMAXI PRIESTの原点

MAXI PRIEST『YOU'RE SAFE』
 僕のマキシ・プリーストとの出会いは、85年。御茶ノ水のレコード店、シスコでファースト・アルバム『YOU'RE SAFE』〈VIRGIN/10〉を買ったことに遡る。

 今から30年近くも前の話なのかと自分でもビックリするが、当時の日本でのレゲエがどんな状況だったかというと、前年にスティール・パルスやアズワドといったイギリスのレゲエ・バンド、そしてジャマイカからシュガー・マイノットが初来日した頃。「セレクト・ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」というジャズ・メインのイヴェントでジャコ・パストリアスやハービー・ハンコックのロック・イット・バンドらとブラック・ユフル(withスライ&ロビー)が来日したのも84年だった。
 ボブ・マーリーが81年に亡くなり、「レゲエはどこに行くのか?」「レゲエはもう終わりだ…」などと言われながら、85年にはマイティ・ダイアモンズの初来日もあり、ダンスホールに関する情報がポツポツと入ってきて、レゲエ・デジタル化の前夜の混沌としながらも面白くなるという予感に満ちた時代だった。とはいえ、当時のレゲエの認知度というと今とは比べるもなく、レゲエを代表する存在だったボブ・マーリーの不在が暗い影を落としていたのも事実だ。

 前にもどこかで書いたけれど、この頃はまだジャマイカのレゲエ情報よりもイギリスのレゲエやイギリス経由のジャマイカの情報の方が入手しやすいような時代で、イギリスのレゲエは今よりもだいぶ身近な存在だったといえるかもしれない。とはいえ、レゲエの情報としてはイギリスのものが入手しやすかったというジャマイカとの比較の上での話でしかないのだけれど。実際70年代後半にイギリスで流行したラヴァーズ・ロックが同時期の日本で聴かれていたなんてことは一部のマニア以外になかったわけで。

 でも、そんな中にあって、85年の『YOU'RE SAFE』との出会いは、軽い衝撃だった。「軽い」と書いたけれど、最初は「軽い」と思っていただけで、実は「かなりの」衝撃だった。『YOU'RE SAFE』やマキシ・プリーストとの出会いがなかったら、僕自身はラヴァーズ・ロックにのめり込むことはなかったかもしれない。
 実はこのアルバムを買った頃は、なんもわかってなかったわけです。「プロデュースのポール・ロビンソン、それ誰?」ってなもんです。しかし、聴いたアルバムの内容が実に素晴らしくて、それ以降、マキシ・プリーストという名前は、僕にとってはチェックすべき存在となりました。

 僕に多少なりともレゲエの知識が備わり、マキシ・プリーストのプロフィールがある程度わかってからこのファースト・アルバムを聴くとものすごくよく分かることがあるのです。


 マキシ・プリーストは、1962年、ロンドン生まれで、本名はマックス・エリオット。インナー・サークルのジェイコブ・ミラーと親戚だという噂がありますが、真偽は知りません。歌い始める前は大工で、その大工の腕を見込まれてサウンド・システムのシステム作りのためにイギリスの有名サウンド・システム、サクソン・インターナショナルに雇われたことから音楽の関わりがスタートしたそう。サクソンの前にジャー・シャカのシステムで歌っていたという話もある。最初はサウンド・システムのスピーカーなどを作る職人だったわけだが、フィリップ・パパ・リーヴァイ、スマイリー・カルチャーなどを擁して当時のイギリスで飛ぶ鳥を落とす勢いのサクソンにあって、マキシ自身もマイクを握るようになったわけだ。当初は歌うけどもDJもやるというようなシングジェイのようなスタンスだったというが、徐々に彼のシンガーとしての資質の高さから、歌い手として活動するようになる。

※クリックで大きな画像が見られます。 MAXI PRIEST
Sensi

MAXI PRIEST
Love In The Ghetto

MAXI PRIEST Throw My Corn

 ファースト・アルバムに先立ち、84,5年に2枚シングルが出ている。〈REBEL VIBES〉からのマキシ・プリースト「Sensi」「Sensi」と同じリズムでサクソンの先輩フィリップ・パパ・リーヴァイがMCする「Mi God Mi King」、マキシ・プリースト「Love In The Ghetto」、同リズムでフィリップ・パパ・リーヴァイ「In A Mi Yard」とそのダブをカップリングした12インチと、「Strollin’ On」と「Throw My Corn」をカップリングした12インチだ。

 「Sensi」「Throw My Corn」はファーストに収録され、「Strollin'On」はファーストにこそ収録されなかったが、アズワドのドラミー・ゼブによるリミックスがヴァージン系の〈10〉よりシングルでリリースされ、後にセカンドに収録された。これらヴァージンとの契約前の先行シングルで聴くことのできるマキシ・プリーストは、ラヴァーズ・シンガーでもあるが、シュガー・マイノットのようなシンガーにも通じる世界を感じさせる。「Sensi」は、この頃にヒットしていたシュガー・マイノット「Herbman Hustling」と同じくヘヴンレスのリズム・トラックが使用されていて、シュガーと同じくマリワナ・ネタであることも含めて歌唱にもその影響が強く感じられたりするのだ。ファーストに収録されなかった「Love In The Ghetto」は、正調のルーツ・レゲエだ。ヴァージンからリリースする前のマキシ・プリーストは、マキシ・プリーストを単にラヴァーズ・シンガーとくくる感じではない。

 しかし、先行のシングルからあまり間がなくリリースされたファーストを聴くと、ラヴァーズ・シンガーと言って良さそうな感じとなる。これはレコード会社の意向のもと、アレンジャーでありプロデューサーであったポール・ロビンソンの貢献が大きいに違いない。
 ポール・ロビンソンはワン・ブラッドというファミリー・グループでラヴァーズ・ロック・ヒットを放ち、後にはバリー・ブームとしてソロ・シンガーとしても活躍した人物だ。マキシ・プリーストのファーストでは、レゲエ、ルーツ・シンガーとしてのマキシ・プリーストの側面をオブラートには包みながらも、決して隠すではなく、ラヴァーズ・シンガーとしてのマキシとうまく共存させている。サウンド・システムで培ったDJ的なスキルもチラリと発揮させるなど、マキシ・プリーストのヴァーサタイルなところもきちんところもうまく表現しているし、ぽっと出のシンガーではないというところもうまく表現できている。

 僕のこのファースト・アルバムから受けた最初の「軽い」衝撃は、歌えるシンガーが、ファーストにしてなかなかの作品を出してきたぞという感じだった。良いアルバムにあたったという衝撃。しかし、それが「かなりの」衝撃に変わった理由は、先に書いたように、このファーストがマキシ・プリーストというアーティストのその時点でのそれまでの歩みやポテンシャルをいかんなく発揮されていると気づいたからだ。アルバム・タイトル曲中でメドレー風に歌い込まれる曲はレゲエ・ファンにはちょっと馴染みの曲だったりして、それもサウンド・システム出身であることのちょっとした表現だったりする事に気づいてからは、マキシ・プリースト、そしてポール・ロビンソン、只者じゃないぞと思いを新たにしたわけだ。

MAXI PRIEST『INTENTIONS』  翌86年のセカンド『INTENTIONS』でのマキシは、ラヴァーズ・シンガーとしての側面をいっそう強く打ち出す。そこで貢献したのがドラミー・ゼブだ。前作から引き続き、ポール・ロビンソンの制作曲もあるが大きく後退し、殆どをドラミー・ゼブが担当。インコグニートのブルーイ制作曲も1曲ある。当時、このアルバムで驚いたのは、実はドラミー・ゼブがこのようなラヴァーズ路線を手がけたことだった。この時はラヴァーズに舵を切ったアズワドの『DISTANT THUNDER』(88年)リリース前だったからだ。そしてこのアルバムから、マキシ・プリーストと一時代を築くマネージャーのアースキン・トンプソンの名前もクレジットされている。主にドラミー・ゼブが仕切ったサウンドはアズワド周辺のイギリスの手練れミュージシャンたちを重用しつつ、マフィア&フラクシーのリロイ・マフィアなど新たな才能も用い、ラヴァーズ路線を押し進めた作品だった。

MAXI PRIEST『MAXI』
 そして翌年、マキシ・プリーストは自身の名前を関した3作目『MAXI』をリリースする。そこでサウンドを担当したのは、イギリス勢ならぬジャマイカ勢。歌ものの制作には定評のあるウィリー・リンドとスライ&ロビーの登場だった。この3枚目、マキシ・プリーストはイギリスだけではないインターナショナルなヒットを目指したに違いない。というのも、イギリス国内ではレゲエをヒットさせるイギリスのアーティストやプロデューサーたちはいたものの、インターナショナル、特にアメリカでチャート的な成功を収めたイギリスの制作者はいなかったのだ。そこでマキシ・プリーストやアースキン・トンプソンなどが白羽の矢を立てたのがウィリー・リンドとスライ&ロビーだったわけだ。

 その目論見は当たる。アルバムからの最初のシングル「Some Guys Have All The Luck」(パースエイダーズ〜ロッド・スチュワート〜ロバート・パーマーなどの歌唱でお馴染み)が全英で12位まで上がるヒット。続くベレス・ハモンドをフィーチャーした「How Can We Ease The Pain?」は、チャートインこそしなかったけれど、その次にカットされたジミー・クリフも歌ったキャット・スティーヴンス「Wild World」のカヴァーが全英5位、全米25位のヒットとなったのだ。アルバム自体も全英で25位に輝き、一躍スターダムに躍り出る。同年、「レゲエ・ジャパンスプラッシュ」でスライ&ロビーとともに初来日も果たした。

Some Guys Have All The Luck / MAXI PRIESTSome Guys Have All The Luck

How Can We Ease The Pain? / MAXI PRIESTHow Can We Ease The Pain?

Wild World / MAXI PRIESTWild World

 マキシ・プリーストにとって80年代のうちにアメリカで名前を売っておけたことは実にラッキーなことだった。80年代のアメリカにおけるレゲエはこれというヒットもない冬の時代だったが、90年代に入ると、アメリカにジャメイカン・インヴェイジョンともいうべきジャマイカのアーティストのアメリカの音楽市場への大攻勢が始まるのである。80年代、ヒップホップがアメリカの音楽マーケットで重要な位置を占めるようになり、その親戚のような存在であるダンスホール・レゲエも一躍注目される存在となりつつあったのである。マキシはその尖兵のような存在だった。

 90年に制作された4枚目のアルバム『BONAFIDE』は、前作からのスライ&ロビーやハンデル・タッカー、さらにガッシー・クラーク〈MUSIC WORKS〉、ドノヴァン・ジャーメイン〈PENTHOUSE〉らジャマイカのレゲエ・アーティストやプロデューサーとソウルIIソウルのジャジー・Bやネリー・フーパーのようなイギリスのクラブ系のアーティストも巻き込んだハイブリッドなアルバムだ。またこのアルバムでは、以前から付き合いのあるブルーイ、ラヴァーズ・シンガーのピーター・ハンニゲイル、さらにはバーリントン・リーヴィの名曲「Don't Throw All It Away」のライターであるゲイリー・ベンソンといったイギリスのライターたちやハンデル・タッカーやマイキー・ベネット〈2 FRIENDS〉といったジャマイカの優れたソングライターたちの活躍も無視できない。


MAXI PRIEST『BONAFIDE』
 イギリスのダンスホール・レゲエとグラウンド・ビート、ハウスなどと接近した時代、レゲエを感じさせつつもクロスオーヴァーしたリズムでのマキシ・プリーストの歌唱は全米で大ブレイクしたのだ。『BONAFIDE』からのシングル「Close To You」は、それまでレゲエ界で誰も成し得なかった全米1位(全英7位)という大ヒットを記録。翌91年にはシャバ・ランクスとの「House Call」、同年にはロバータ・フラックとの「Set The Night To Music」も全米6位のヒットとなった。
 マキシ・プリーストの成功なくして、シャバ・ランクスやスーパー・キャットのようなジャマイカのダンスホール・アクトの成功は無かっただろうし、後のシャギーの成功なども無かったかもしれない。インターナショナルに名声を得て以降のマキシ・プリーストの作品については、残念ながら中途半端なものが多い。それは成功者ゆえの迷走と言っていいかもしれない。

 しかし、今回久々に発表される『EASY TO LOVE』は、ジャマイカの制作者とがっぷり四つに組んで、原点に回帰した快作だ。マキシ・プリーストは一聴すればお分かりの通り、シンガーとしてすごく歌える人だ。彼のスムースな歌唱は耳障りもいいし、レゲエ以外のリズム・トラックに乗っていても魅力的に聴こえる。彼は両親がジャマイカからイギリスに移り住み、彼自身はロンドンで生まれた世代。レゲエだけではなく、様々な音楽を幅広く聴いて育ったことが、彼の器用さに繋がっているに違いない。しかし、そこで僕は敢えて言わせてもらう。レゲエのリズムでのマキシ・プリーストの歌唱こそリズムと一体化し、最も強く光を放つ。実はマキシ・プリーストこそ、骨の髄までレゲエなのではないかと思うのだ。
MAXI PRIEST『EASY TO LOVE』

 新作『EASY TO LOVE』には、マキシ・プリーストの最初の3枚のような瑞々しさもある。僕は、マキシ・プリーストには原点であるレゲエのフィールドでのますますの活躍を期待しているが、その足がかりこそが『EASY TO LOVE』だと信じる。若いファンには『EASY TO LOVE』をきっかけに今回取り上げたマキシ・プリーストの過去作にも興味を持っていただければ幸いだ。どれも色褪せない名作揃い。今回この原稿を書くに当たり繰り返しマキシ・プリーストの過去音源を聴き直した僕が言うのです、間違いありません。


藤川 毅 [ふじかわたけし]
1964年鹿児島市生まれ。
高校卒業後、大学進学のため上京。
大学在学中より音楽関係の仕事をスタートし、『レゲエ・マガジン』の編集長など歴任するも、思うところあり、1996年帰郷。
以来、鹿児島を拠点に会社経営をしつつ、執筆活動などを続け、ラジオ番組のレギュラーも。
趣味は、自転車(CARRERA,SCOTT乗り)と読書、もちろん音楽。
Bloghttp://www.good-neighbors.info/dubbrock
Twitterhttp://twitter.com/dubbrock



pagetopへ戻る

JUST MY IMAGINATION
ENTERTAINMENT
INTERVIEW
FM BANA
REGGAE 虎の穴
1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11-12
REGGAE
ともだちのフリして聞いてみた
TELL ME TEACHER

Google www.247reggae.com

レゲエ・レーベル/プロダクションでVPレコード/グリースリーヴス/ビッグ・シップ等の海外レゲエ・レーベルの日本正規代理店
24×7 RECORDS | REGGAE TEACH ME EVERYTHING

Copyright(C) 2015 24×7 RECORDS All Rights Reserved.