BOUNTY KILLER

 えー、「JUST MY IMAGINATION」。今回は久々に来日をしたBOUNTY KILLERのコトにしましょ。

 まっ、BOUNTY KILLERに関しては説明不要だと信じますけど、個人的にはなんか結構重要アーティストです。その活動や作品を通してもあるんですけど、現在の自分の活動と言うか、生業を考えた時にも一つのターニング・ポイントとなっている存在でもあるんですな。

 直接BOUNTY KILLERと知り合うと言うか、初めて会ったのは1999年でした。確か夏前ぐらいのタイミングで来日ツアーを実施したんですけど、その時に日本でリンクしました。きっかけは暇だったから。

 ええ、その年の3月に自分は以前勤めていた会社を退社/リストラされまして、暇していたんです。月に一回だけ目覚まし時計を鳴らしてハローワークに行く以外は何の予定も無く、ただひたすら毎日ボケーっとしてました。朝から晩までテレビを見たりしてるだけで、完全な引きこもり状態でした。

 まっ、失って分かる仕事の有り難みとか、「もうレゲエの仕事にもう就けないかもしれんな」とか、なんか色々と考えつつも、何をどう動くべきか考えるフリをしたりしてました。一人で「今はチト考えてる時なんだ。せっかくの機会だし、失業保険も全部貰いたいぜ」と嘯いてました。ただ、ホントは「辞めても何とかなるわい」とか、「どっかから声でも掛かるだろ」とか思ってたのに、何ともならないし、仕事関係どころか、友達と思っていた人達からも、ギャル・デムからも一切連絡とか無くなって、こっちから連絡するのもなんか悔しかったり、惨めだったりして、なんかフテくされていてました。プライドだけは一人前だったので、自分から「ういーす」って連絡も出来ずに、なんかフテくされて、やる気も何もかも失って、ただボケーっと、ひたすらボケーッとしていたんですな。不安でしたな、とっても。

 で、そんなある日に携帯がブルル。見たら、ポジティブ・プロダクションの佐川恵社長。自分との関係から言えば、知り合いでお仲間で戦友であるには違いないけど、かと言ってめちゃ友達って感じでも無し。一年に一度でも会えば良い方ぐらい。なので、その着信を見た時は「?」だったけど、取ってみたら「おおーっ」だった。早い話、「BOUNTY KILLERが来日するけど、ツアーの通訳の仕事しない?」だった。格好つけて「検討します」では無くて、「やります、やります、やらせて下さい」とか即答したハズ。BOUNTY KILLERがどうとかでは無く、誰かに、社会に、この世界に、自分が求められたこと、佐川さんの頭に自分のコトが浮かんだコトが嬉しくて、ただただ感謝したハズ。

 で、その電話と依頼があったおかけで色々な人に自分から連絡出来た。「今度仕事するんだ。決まってるじゃん、レゲエ関係の仕事さ」って。アホはすぐに格好つけるもんだ。まっ、それまでレゲエの仕事してたとは言え、会社員で保証や守られていた中でしていたに過ぎなかったし、その会社を辞めた瞬間に誰も居なくなった通りに、自分の名前や価値で仕事していたわけでは無く、振り返れば会社の信用とか名前でやっていたに過ぎなかったので、ある意味初めて、自分個人を信用して仕事を貰えたことがとにかく嬉しくて、なんか嬉しかったんだな。初めてバイトして金もらった中学の時と同じ気分。

 で、それから何週間かして、BOUNTY KILLERは日本にやって来た。JAZZWADとTONY MATTERHORNと、その当時のBOUNTY KILLERの当時のガールフレンド、実兄、あとマネージャーだとかボディ・ガートとか称する実際は何もしない人達と一緒にやって来た。成田空港に向かいに行って、ずっと彼らと一緒に過ごす日が続いた。

 ただ、通訳と言っても、実際にはBOUNTY KILLERはホテルとかに入ると一歩も部屋からも出て来ないし、自分が相手するのは他の人達ばかりで、マネージャーと称する人に時間とかを伝えたり、JAZZWADとかとリハーサルに立ち合って機材とかの確認をしたり、あと食事を一緒に買いに行ってあげたりとかで、BOUNTY KILLERとは挨拶はするけど、話はしない感じ。舎弟が周りに居ると、話しかけるのもウザかったりしたのもある。

 で、ツアーは横浜と東京と大阪の三公演だったんだけど、最後の大阪公演は現在は無くなった泉佐野のりんくうタウン、ジョグリン・シティだった。まっ、大阪マッシヴは馴染み深いある意味画期的なダンスホール・パークだった。

 そんで、羽田から関西空港に移動して、ホテルに入る前に会場をチェックしに行ったんだけど、そこで他のスタッフの方は、ステージ設営とか準備のために会場に残ることになって、自分が全員をホテルへと連れて行く様に頼まれた。でも、「了解しましたー」と簡単に引き受けたら、そこからが結構大変。

 ホテルに入る前に「腹減ったー」と全員大騒ぎ。マクドナルドの看板を見つけると、「連れてけー」と大騒ぎ。で、「ハイハイ、分かりましたよ」と連れて行くと、全員バラバラに勝手に注文を始めて店員さんもパニックになって、アタフタ。「JAZZWADは何頼むの?」「MATTERHORNは何にするの?」とか、通訳らしい仕事と言えばそうなんたけど、結構大変。そんな中、気付いたらいつもは人に食事のオーダーを伝えるBOUNTY KILLERが、レジにドーンと立っているから、「あらら」と思って、横に付いて、「KILLERは何を?」と聞いたら、しばらく考えたまま動かない。BOUNTY KILLERの後ろには、一般の客が並んでいるし、「早く決めて欲しいな」とか思っていたら、突然あのダミ声で、「レタス・バーガー!」。軽く喰らいながらも「ああ、やっと決まったよ」と思って店員さんに伝えると、さらに「レタス・バーガーをバーカー抜きで!」。「ええっ? はぁー?」と思って、「KILLER、そしたらレタスとパンだけになるよ」と言ったら、「ああ、その代わりにレタス多めで頼むー!」とのこと。まっ、しゃーないです、通訳ですから、そのまま店員に伝えたら、かなり困惑した顔をしつつも、こちらの状況を理解して頂いて、「かしこまりました」とタダでスマイルをくれた。

 そんで、「やれやれ」と思っていたら、マクドナルドで自分の食い物をゲットした連中は、そのまま全員どっかに勝手に移動。TONY MATTERHORNがそれ以前の来日で来ていた場所でもあったらしく、「確かあそこにゲーム・センターがあるー!」とかで、全員勝手にそこに行っちゃって、パラパラだよ。「あー、かったりー。どーすんだよー」とか思うも、「しばらく戻って来ないな」と判断して、とりあえず自分は移動車に戻って待機することに。

 そしたら、その移動車の後部座席で、一人でレタス・バーガーのバーガー抜きを食べているBOUNTY KILLERが。「みんなは?」と聞くので、ありのままを伝えると「そっか」と言うだけ。で、二人きりになったので、何となく色々と質問とかしてみた。レゲエのこと、ダンスホールのこと、ジャマイカのこと、BOUNTY KILLERのこと・・。ずっと無口だと思っていたBOUNTY KILLERは実に饒舌だった。何も構えること無く、何でも話してくれたし、聞かないことも話してくれたし、自分の生い立ちとか、暮らして来たゲットーのコトだとか、歌う理由とか夢とかも話してくれた。あと、自分のコトをプロモーターだと思っていたみたいだったので、単なる通訳だと言うことと、それまでしてきたこと、何も決まっていない今後のことも話したら、「言葉も違うこの国で、ジャマイカのレゲエを伝えるのは大変だろうな。ただ、その熱意こそがレゲエの持つ魅力なんだと思う」と言ったのを忘れない。

 TONY MATTERHORN達が遊び疲れて戻ってくるには時間がかなり掛かる様子だった。待たされた男二人で夕陽が落ちて行くのをボケーっ。たわいも無い話がタラタラと。で、そんな感じで、1時間ぐらい話したところで、BOUNTY KILLERは「もう、行こうぜ。待ってられないぜ」と言うので、他を残してホテルに移動することに。で、その車の中でBOUNTY KILLERからジャマイカの連絡先を教えられた。なんか、知らんけど、仲良くなった気がした。あと、自分が横浜で、ずっと男連中に囲まれて暇そうにしていたBOUNTY KILLERのガール・フレンドを可哀想に思って、少しだけ中華街とか案内したり、買い物に付き合ったのしてあげたのを聞いていたらしく、「あっ、そうだ、彼女をケアしてくれて、アリガト」とも言われた。

 大阪公演はオールナイトで、自分は他とは別に一人だけロンドン経由で帰るJAZZWADを成田空港から出国させる役目を頼まれていたので、公演終了と同時にJAZZWADと関西空港に急いで、成田空港へ移動した。だから、BOUNTY KILLERの移動には立ち合わな兌かった。ツアー中はさんざんのワガママで甘えん坊のJAZZWADに悩まさせれたけど、帰りは徹夜明けもあってか大人しかった。二人とも爆睡していて、成田に着いてもスチュワーデスさんに起こされるまで気付かなかった。で、目が覚めるなり、JAZZWADが「腹減った」と言って、またマクドナルドに行くことになった。JAZZWADはなんか知らんけど、自分の分も奢ってくれた。朝マックしながら、色々と話したり、連絡先を交換したりもした。「なんだ、ホントは良い奴じゃんよ」と思ったハズ。

 で、JAZZWADが出発ゲートに消えて、なんか安堵していたら、携帯が鳴った。見たら、同じツアーのスタッフの方からで、「BOUNTY KILLERのガール・フレンドから伝言です」と言われて、彼女とBOUNTY KILLERの連絡先と、二人からの御礼の言葉をもらった。

 なんかうまく伝えられないんだけど、このツアーを経験させてもらって、忘れかけていたわけではないけど、「仕事って良いな」「仕事してぇな」、「もう、やっぱレゲエの仕事しかねぇだろうよ」と思うようになった。引き籠ってねぇで動き出すことにした。

NAH NO MERCY-WARLOAD SCROLLS VP1741 NAH NO MERCY-WARLOAD SCROLLS
(2CD) / VP1741/ 2006

 で、実はこのツアーに一緒に参加していたのがMIGHTY CROWNだった。そこで初めて彼らと直接リンクした。「横浜」って、ちょっと東京からすると構えるところあるんで、ずっと「横浜のよく分からん強面サウンド」って思ってたら、全然そんなことなかった。この時は挨拶とか飯喰う程度、でも、ココでの出会いがその後の自分ところからリリースする『MIGHTY CROWN TRIBUTE TO VOLCANO』に繋がり、彼らとの幾つかのリリース、そして現在までの関係に繋がって行くことになる。

 で、さらにこの時にBOUNTY KILLERはアメリカの〈TBT〉という準メジャーから作品をリリースしていたんたけど、その日本盤をリリースして担当していたのが、ビクターエンタテインメントの田村明洋さんで、ココで知り合って、自分とビクターとの関係がスタートする。

 MIGHTY CROWNも田村さんも共通していたのは、どちらも当時にプータローだった自分を信用してくれたこと。会社時代の外部との関係がほとんど切れていた中で、初めて作れた新しい関係だった。で、そうして「初めて自分を信用してくれた人達」ってことを、現在でも大切にしている。そんで、その人達と出会った時に何かが新しく始まる感じがしたこと、何かを新しく始めようと思えることが出来たことの不思議な感覚に感謝している。会社を興すことにしたのは、この出会いから。田村さんが「個人では無くて、法人じゃないと契約出来ないよ」と言われたから、会社にすることにして、それが続いてる。

 で、自分が「何かを始めよう」と動いたことで、今度はVP RECORDSとの思いがけないリンクが生まれて、コトが進み出して行く。まっ、この話はまたいつか。あと、この後のBOUNTY KILLERとの色々もまたいつか。

 まっ、てなわけで、振り返ると、この99年のBOUNTY KILLERの日本公演というのは、自分にとっては大きなターニング・ポイントでして、そこに色々なチャンスやヒントや出会いが詰まってた。それが無ければ、まだフテくされていたかもしれないし、何がどーなってたか、分からない。

 今回の来日時にBOUNTY KILLER、あとJAZZWADとも軽く会えた。「99年の来日」の時の話をした。彼ら二人が忘れてなかったことが嬉しい。あと、単純に自分みたいな人間が、現在もレゲエに携わった仕事をさせてもらえているのが嬉しい。そんなスペースが与えられている偶然に感謝。そんで、それ以上に望むものはそうは無い。アリガト、BOUNTY KILLER。アンタが居たことに感謝しているよ。それと佐川さん、アナタにも。忘れたこと無いです。

八幡浩司(24×7 RECORDS., INC.)

pagetopへ戻る

JUST MY IMAGINATION
1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12 / 13 / 14 / 15
ENTERTAINMENT
INTERVIEW
FM BANA
REGGAE 虎の穴
REGGAE
ともだちのフリして聞いてみた
TELL ME TEACHER

Google www.247reggae.com

レゲエ・レーベル/プロダクションでVPレコード/グリースリーヴス/ビッグ・シップ等の海外レゲエ・レーベルの日本正規代理店
24×7 RECORDS | REGGAE TEACH ME EVERYTHING

Copyright(C) 2015 24×7 RECORDS All Rights Reserved.