※ 第ニ回〜COCOA TEAの話(その1)を、読んでない(読み切れなかった!)方はコチラ

 えー、前回の続き。今度こそCOCOA TEAの話。

 で、前回書いた通りに、93年の春先にCOCOA TEAのツアーを実施したのですけど、ツアーの途中でCOCOA TEAは「消えて」しまいまして、大トラブルに見舞われました。

 まっ、ただそれでもなんやかんやとCOCOA TEAとの繋がりは切れずと言うか、切れなくて、トラブルのあった翌年の94年には、〈XTERMINATOR〉のプロデューサーであるPHILLP "FATIS" BURRELLの仲介もあって、アルバムを制作して、日本でリリースすることにしました。

↓写真をクリックすると拡大表示します。 photo photo

 正直、トラブルに見舞われた時は、理由が何であれ「COCOA TEAのバーロー!」と怒り心頭だったのも事実。で、それなのに何でまた仕事をすることにしたのか、リリースすることにしたのかは、正直うまく説明出来ない。

 ただ、トラブルの最中、COCOA TEA不在のままショーを実施せざるを得なくなった東京公演二日目の日、当時のタキオン社の『レゲエ・マガジン』編集長の加藤学氏が心配して会場まで来てくれて、自分に色々な言葉を掛けてくれたこと、そして、トラブルの後に「次号の『レゲエ・マガジン』に自分の言葉でこのコトを書きなさい」と連絡をくれて、自分がそこでトラブルがあったことの謝罪と、「今後何らかのカタチでそれを返す」と書いたことがあって、どこかで「リリースに携わる者として、もう一度迷惑掛けたファンの方々にちゃんとした作品を届けないといけない」と思っていたことがあったと思います。

 自分が公的に文章/原稿を書いたのは、この時の『レゲエ・マガジン』が初めてでした。最初が謝罪文というのは、ある意味「らしい」です。ただ、そうした機会を与えてくれた加藤氏に深く感謝するとともに、今となってはそれが加藤氏から自分へのメッセージだったと思っています。僕が届けた原稿を見て、「今後も頑張る、という意志が伝わるから良い」と言ってくれました。その時はよく理解出来ませんでしたけど、それは「こんなトラブルでレゲエの仕事をやめんなよ。続けろよ。挫けんなよ。自分で書いた以上は頑張れよ」という意味だったと理解しています。

 あと、当時の渋谷クアトロのベレー帽を被った店長さんが、凹みまくっている自分に加藤さんと共に、「食欲無いって? でも、性欲はあんだろ? だったら平気だよ。性欲がありゃ、生きていけるさ」と迷惑掛けてしまった自分を笑って励ましてくれたことも忘れない。そんで、それとは逆にわざわざ会場まで来て、「なんだコレは、ひでぇな。俺がやればこんなことにはならなかったけどな、フン」とだけ言って、そのまま帰って行ったレゲエ業界の大先輩さんのことも忘れない。それもそれで、自分には励みになったし、その人らしいな、と後から愛情を感じました。  

 まっ、とにもかくにも、94年にCOCOA TEAの作品『HOT SWEET COCOA TEA』をリリースしました。国内盤は現在は廃盤ですけど、その多くの曲はグリーンスリーヴスから別のタイトルのアルバムでリリースされています。で、このアルバムは、FATISとCOCOA TEAが自由に作ったんですけど、自分からのリクエストとして、代表曲である「Tune In」の初リメイクをやってもらったのと、あと、トラブルの件もあったので「日本のファンに向けて」とリクエストして、「Arigato」という激メローなラヴ・ソングを収録しました。ジャケット写真は、93年の来日の際に「消える」前に、酒井透氏に撮影してもらったものと、「消える」前日の渋谷クアト1?ロでのライヴ写真を使用しました。 

 で、このアルバムの制作はすべてFATISに任せて、FATISとCOCOA TEAとは電話で話すだけで、ジャマイカに行って立ち合うことはありませんでした。FATISとCOCOA TEAが自分のコトをその名字の「YAWATA」の響きに掛けて、「EYE-WATER=涙」と呼んで笑うようになってのはこの頃からだったと思います。

 そんで、COCOA TEAとはその作品のリリースで一段落で、特に連絡取ることもなかったんですけど、「再会」は突然やってきました。

 97年なんですけど、ジャマイカに行きました。確か、2週間自分の作品で出掛けて、戻って一週間後に、今度は日本人のバンドの現地レコーディングのコーディネイトで3週間行った感じだったかな。

 で、その日本人のバンドのコーディネイトは超暇で、朝にスタジオに送って、夜に迎えに行くぐらいで、特に現地でやることは無し。バンドは別にレゲエ・バンドでもなくて、スタジオでも自分達でやっていて、エンジニアも日本から連れてきていて、自分もジャマイカ人スタッフも「やることねぇ」って感じ。ちなみにそのバンドは帰国後にメンバーが大幅に変わってしまって、ジャマイカで録ったものも使えず、日本で全部録り直してリリースして、アルバム一枚で解散しちゃってた。

↓写真をクリックすると拡大表示します。 photo photo

 で、毎日暇だったんですけど、一つだけ大事な仕事がありました。それは、スポーツ雑誌『NUMBER』さんのコーディネイト。ジャマイカが翌年のサッカー・ワールド・カップ、フランス大会の予選を戦っていて、その最終戦を雑誌でレポートするために、カメラマン&ライターの近藤篤氏がジャマイカに行くことになって、そのコーディネイトを依頼されたんです。

 近藤氏とは、日本で事前に会って打ち合わせをしたんですけど、その時にサッカーのグラウンドで取材するには、「FIFAからの許可書が無いとダメ。それは事前に雑誌社とかが申請しないとダメ」というのを聞いて、何気なく「僕もグラウンドで試合を観たいっす」とか言ったら、近藤氏が自分の許可書も申請してくれました。

 そんで、試合当日もプレス専用のバスに近藤氏と共に乗って、パトカーの先導でスタジアムに。現地で、プレスが着用するビスをもらって、それを着てウキキとグラウンドに。一応近藤氏のカメラ・バッグを管理する約束でしたけど、勝手にアチコチをフラフラ。

 で、この日は試合前にレゲエ・アーティストのショーも行われることになってて、グラウンドでたくさんのレゲエ関係者に遭遇。知り合いは自分のプレス用ビスを着た格好に「何してんだ? お前プレスじゃねぇだろ」と突っ込まれつつ、そのショーを観ることに。DENNIS BROWN、JIMMY CLIFF、TONY label、LUST、BOUNTY KILLER、BEENIE MAN、ANTHONY B他、豪華アーティスト達で大盛り上がりだったのですけど、写真とか撮っているのは自分だけ。ええ、その他のプレスはサッカー・プレスなので、レゲエには無関心。フランス人のジャーナリストにDENNIS BROWNを指して、「彼は有名なアーティストなの?」と聞かれる感じ。

 で、その会場でジャマイカ国旗を振っている小柄のラスタを発見。それはどう見てもCOCOA TEA・・。日本で「消えて」以来の再会。

 さらにCOCOA TEAの側には、日本でのトラブルの張本人であるマネージャー女史も。複雑な感情とかが交差しつつ、徐々に距離は近づいて、こちらに気付いたCOCOA TEAと目が合う感じ。

 「なんて言おう、なんて話しかけよう」と思ってたら、「EYE-WATER・・」とCOCOA TEAから話しかけてきた。横に居たマネージャー女史はこちらと目が合うと「逃げた」。何を話したのか、よく覚えていないけど、COCOA TEAが「WELCOME TO JAMAICA」と言ったのは覚えている。自分が「俺が日本で貸したウエアはどーしたんだよ?」と言ったら、「大事に着てるさ」と大嘘言って、あの笑顔を見せたのを覚えている。そして、ずっとジャマイカ国旗とラスタ・カラーの国旗を振り続けていた。

 初めてCOCOA TEAを観たのは、90年か91年のモ・ベイでの「レゲエ・サンスプラッシュ」。その時もCOCOA TEAはラスタ・カラーの旗を振りながらステージに出てきた。

 そして、サッカーの試合の翌日に、ニュー・キングストンを車で走ってたら、運転してくれてた知り合いのドスケベが自分に「なんかアイツ、こっちに叫んでるで」と言うので、見たら車のあちこちにジャマイカ国旗とラスタ・カラーの旗を飾り付けた車の運転手が窓から顔を出して、こちらに叫んでいる。それはCOCOA TEAで「EYE-WATER!!」と笑っている。こちらも手を振ると、あの笑顔で手を振り返して走り去ってた。車中の旗がバタバタしてた。ドスケベは「なんやアイツ」と笑ってた。

↓写真をクリックすると拡大表示します。 photo photo photo photo えー、改めて『REGGAE ANTHOLOGY - Sweet Sounds Of Cocoa Tea』を是非ヨロシク。旗振りながら聴くのが正解かと思います。

 それからずっとCOCOA TEA本人とはご無沙汰。ショーで観たりしたことはあったけど、直接会うことはなかった。

 で、一昨年の夏。久し振りにCOCOA TEAが日本にやってきた。愛知・内海の「REGGAE X-PLOSION」でやってきた。事前に予定された日時では来日せず、地方で予定されていた単独公演も「消えて」、「ホントに来るのかな?」と思ってたら、内海の1ショーのためだけにやってきた。

 COCOA TEAはトリだったので、自分はマイ・クルー達と早めに会場に入って、WARD 21とか、JR.CATとか、JUNIOR Xとか観て楽しんでた。夕方過ぎに主催してたGUIDING STARのTRIGGER氏に会ったら、「COCOA TEAが楽屋に入りました」と言うので、楽屋に行ってみたら、COCOA TEAは立ってた。そんで、また手にはラスタ・カラーの旗を持ってた。

 久し振りの再会で、「覚えてるかな?」とすら思ってたら、不機嫌そうな顔したCOCOA TEAが「EYE-WATER」と、再会の感動も何も無く普通に話しかけてきて、何で自分の来日が遅れたのか、何で自分がそれでも来たのか、とか一方的に話されて、とりあえず「フムフム」と聞いてた。で、散々「だからさ」「俺はさ」と捲し立てられた後に、「あー、まー、よく分かんないんだけど、とりあえず、WELCOME BACK TO JAPAN」と言ったら、ゲラゲラ笑って「あー、あの時以来だな」と言った。忘れてないんだね。

 そのままショーの時間になった。ショーは素晴らしかった。今回の『REGGAE ANTHOLOGY - Sweet Sound Of Cocoa Tea』じゃないけどベスト選曲の構成で、今回のCDには収録されていないけど、自分のフェイヴァレットでもある「Like A Love Song」を初めて生で歌うのも観れた。時間もたっぷりで、これまで観たCOCOA TEAの中でもベストだった。

 終演後に楽屋に行ったら、COCOA TEAは大勢のファンに囲まれていた。自分が乗る内海から名古屋までの終電の時間は迫ってた。もう少し何か話したりしたかったけど、とりあえず会場を離れることにした。

 最後に人をかき分けて、COCOA TEAの汗ばんだ腕を掴んで、「もう帰るよ」と伝えたら、こちらを見て「そっか、わかった。会えて良かったな。今度はジャマイカで会おうな」と言われた。COCOA TEAの腋にはラスタ・カラーの国旗がはさまってた。 

 駅に向かって歩き出して、一度振り返ったら、COCOA TEAと目が合って、目でウンウンと頷いてた。そんで、腋に挟んでたラスタ・カラーの旗を手に取ってこちらに向かって振ってくれた。

 まっ、COCOA TEAはいつも旗振ってんだ、って話でした。

   おしまい。

八幡浩司(24×7 RECORDS., INC.)

pagetopへ戻る

JUST MY IMAGINATION
1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12 / 13 / 14 / 15
ENTERTAINMENT
INTERVIEW
FM BANA
REGGAE 虎の穴
REGGAE
ともだちのフリして聞いてみた
TELL ME TEACHER

Google www.247reggae.com

レゲエ・レーベル/プロダクションでVPレコード/グリースリーヴス/ビッグ・シップ等の海外レゲエ・レーベルの日本正規代理店
24×7 RECORDS | REGGAE TEACH ME EVERYTHING

Copyright(C) 2015 24×7 RECORDS All Rights Reserved.