#1 RTME x SPLIFFINGTON
SPECIAL COLLABORATION
Behind The Story
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#2 Who is SPLIFFINGTON? 
SPLIFFINGTON INTERVIEW
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#3 RTME x SPLLIFINGTON
247RTME – T-SHIRTS
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24×7 RECORDS
RTME × SPLIFFINGTON
SPECIAL Collaboration
– Behind The Story –

 「コレもSPLIFFINGTONなのか」ー。それは2023年にAWAKE NYがASICSとのコラボ商品の発売を記念して開催したイヴェント、WU-TANG CLANのRAEWONをゲストに迎えてニューヨークで開催したイヴェントのポスター画像を見た時だった。それは「SASSAFRASSスタイル」、80年代にジャマイカで数多くのダンスのポスター、レコードのアートワークを手掛けた亡きSASSAFRASSが世界に広めたダンスホールのアイコニックなアートを踏襲して描かれたポスターだった。そのイヴェントになぜそのダンスホールなアートが使用されているかよりも、そのスキルの高さ、「SASSAFRASSスタイル」再現性の高さと同時に過去の模倣だけではない伝わる現在のエッジと感覚に気持ちが惹かれた。

 それは、よく目にする他の「SASSAFRASSスタイル」とは異なっていた。明らかにその知識とスキルを持ち合わせた描き手によるものだった。単なる模倣ではなかった。すぐにその描き手を調べると、それはSPLIFFINGTONだった。「コレも」だったが、それはそれまでに知らなかったSPLIFFINGTONだった。

 SPLIFFINGTONを初めて知ったのは2020年にVP RECORDSからリリースされたCLIVE HUNT『BLUE LIZZARD』のLPレコード商品のクレジットを確認したことだった。以来、幾つかの作品や場面でその名前とアートを目にして、「様々なスタイルでレゲエのアートを描く人」「現在なポップでカートゥーンなアートを得意とする人」なイメージを持っていたが、「SASSAFRASSスタイル」も得意としていることはその時に初めて知った。

 「オタクだよ」ー。その2023年にNYで会ったレゲエ専門レコード店のDEADLY DRAGONのJASONと話していた時だった。JASONはSPLIFFINGTONを「よく知っている」「ニューヨークにいる」「ウチの店にもよく来る」と言い、「完全にレゲエ・オタク」と笑った。

 それが決定的だった。SPLIFFINGTONが単にレゲエやダンスホールをテーマに上手く描ける人ではなく、実際にそうやってレゲエやダンスホールを聴き、レコード屋に足を運びレコードをディグっている人であることを知ったことは決め手となった。ニューヨークの人であることもそれを後押しした。

 「2024年は『24』の年」ー。2024年に仲間に話した。「24×7 RECORDSなのもあるけど、『24』と『7』には勝手に思い入れがある。今年が『24』の年なら、それを勝手に記念して何か作りたい。今年はウチの24周年でもあるし、7周年の時みたいにウチをテーマにしたTシャツをウチのRTMEで作りたい」と。「できれば、24×7 RECORDSにコジつけて、2024年7月24日にカタチにしたい」と。

 そのミーティングでは自分が惹かれた画像も見せた。「これを描いたSPLIFFINGTONに打診してみようと思う」と。それ以外のSPLIFFINGTONの作品も見せ、JASONから聞いた「レゲエ・オタク」と、VP RECORDSから聞いた「レゲエ・レコードのコレクター」のSPLIFFINGTONの話もした。

 そして、「ウチをテーマにするならウチとしても相応しく同じレゲエのカルチャーの中で生きる人であって欲しい。これまでにもSASSAFRASSやTONY McDERMOTTとかのレジェンド達には描いてもらってきたけど、そうしたウチの歴史を更新させるのなら今はSPLIFFINGTONが良いと思う。世界を舞台に活躍してはいるけど、まだ駆け出しとも言える現在の立ち位置を見ても。今はそうした新しい才能とやりたいのもある。ウチを新しく更新させていくためにも。その刺激を自分達から作っていきたいのもある」と。

 あと、「ずっと海外を相手にやってきたウチだから海外の人とやりたいんだけど、SPLIFFINGTONがニューヨークの人であることもウチとつながる。ニューヨークはウチの一部だし」と仲間に伝えた。

 ただ、「まっ、直接話をしてみて」「その時の雰囲気やヴァイブスを確認してみて」、「断られるかもしれないし」「円安だし」「なんか結構なブランドや相手とも仕事している人だから、その相場もわかんないし」「そもそも連絡取れるかもわかんないし」とも言いながら。

 VP RECORDSを通じても、JASONを通じても、SPLIFFINGTONを紹介してもらうことはできた。ただ、自分から連絡をして、直接話してみることで最終的に判断してみることにした。それはいつものウチのやり方、ウチの考え方でもあった。

 「知ってるよ」ー。SPLIFFINGTONにはIntstagramから連絡を取ることにした。その時にSPLIFFINGTONが自分もウチもフォローしていることを知った。それもあってかそのレスは早かった。SPLIFFINGTONは自分のこともウチのことも知っていた。「REGGAE TEACH ME EVERYTHING」とRTMEのコトも知っていた。JASONが言っていたことはホントだった。オタクだった。

 何度かのやり取りを続けて、SPLIFFINGTONとはVP RECORDSやJASON以外にも多くの共通の知り合いがいることも知った。また、「AMAZURA!!」とこれまでに同じ場所&場面に居たことがあったのも知った。話が早かった。もう昔からの知り合いのようでもあった。よく話した。色々な話をした。不思議だったのはどんな時間に連絡をしてもすぐにレスが届くことだった。

 「光栄だよ」ー。SPLIFFINGTONに正式にオファーを言葉で伝えると、そう即答された。金額や条件、締切よりも先に「どんな感じにしよう?」とすぐにアイディアの話になり、実際にそのアートが届くまでも早かった。

 「ウチのTシャツ」ー。それを手にした時の痛さ、それがいかに厚顔無恥であることは「知ってる」。ただ、その痛みも恥ずかしさも全て背負っていくことにしたい。背中にプリントされた言葉、その意味と込めた思いを背中に背負って前向きに前を進んでいきたい。時間が前にしか進まないのなら、残されている時間が限られているのなら、ただ前だけ向いて進んでいきたい、ただ「前へ」。ただそれだけ、ただそれだけのために作りたかったTシャツ

 「24×7×24年」ー。これまでのサポートに感謝します。

  RTME – REGGAE TEACH ME EVERYTHING ー。

 

 


Who is SPLIFFINGTON?

SPLIFFINGTONINTERVIEW
「自分は部外者であるということ」ー。

SPLIFFINGTON

●出身を教えてください。

SPLIFFINGTON(以下S) 1981年、アメリカのアラスカ州、アンカレッジ生まれ。でも、何度も引越していてアメリカの幾つもの都市でも暮らしたし、フランス、オマーン、セネガル、インドネシアでも暮らしたりした。2000年にブルックリンのアート・スクールに通うためにニューヨークに移って、それからはずっとニューヨーク。

●いつから絵を描いているんですか?

 もう幼い時から、それこそ自分の記憶がある時からは描いていた、恐竜とかサメ、ロボットやカートゥーン、あとファンタジー映画やコミック・ブックを真似て描いたりして。もう典型的な80年代の子供が好きなものばかり描いていたよ。

●レゲエの音楽やカルチャーを描くようになったのは?

 両親が音楽好きで子供の頃から幅広くヴァラエティに富んだ音楽を聴いて育ったんだけど、その中にはレゲエもあったんだ。BOB MARLEYとかUB40とか有名なアーティストばかりだったけど、それが最初のレゲエとの出会い。

 その後にダカール(セネガルの首都)に暮らしていた時に現地で英語を話す人達ばかりの小さなコミュニティに参加していて、そこの人達と一緒にラップやハウスを聴くようになったんだけど、当時のラップやハウスはジャマイカの音楽の影響を多大に受けていたんだ。あと、そこにはイギリス出身の人がいて、彼がイギリスからジャングルのカセット・テープを持ち帰って来て、それで自分の興味がそれまでのコミックから音楽へと変わってしまったんだ。そのジャングルのカセット・テープをダビングさせてもらって聴きまくっていたんだけど、特にその中のダンスホール・スタイルの歌詞やサウンド・クラッシュの音源がサンプルされているミステリアスでラフな雰囲気に強く惹かれてしまったんだ。

●ジャングルを通じてダンスホールにハマった?

 いや、最初は全く理解していなかった、無知だったからダンスホールもレゲエのピッチをスピード・アップしたものぐらいにしか思ってなかった。ただ、それでも惹かれてしまっていた、何もわかってないままに。その数年後にアメリカに戻るんだけど、通っていた学校にジャマイカ系の友達がいたんだ。その友達がカセット・テープを、STONE LOVEとかKILLAMANJARO、あとTURBO PHONICとかのジャマイカのサウンド・システムのミックス・テープを貸してくれて、それを聴いて突然に理解できたんだ、自分が惹かれていたものがどこから来たものなのかを理解したんだ。もう、そこからはダンスホールやサウンド・システムのミックス・テープのコレクターになっていくんだけど、それに合わせて自分が描く絵もその影響を受けていくようになったんだ。

●最も影響を受けたレゲエ・アート、イラストレーターは?

 SASSAFRASS、LIMONIOUS、TONY McDERMOTT、もう当たり前だけど、彼らから受けた影響は大き過ぎる。ただ、正直言うと一番好きなアーティストやアートは無いんだ。だって、あまりにも素晴らしいものが多過ぎるから誰か一人とか作品を一つだけ選ぶことはできないだろ?

●なにをきっかけに所謂プロフェッショナルなイラストレーター、アーティストになったんですか?

 ニューヨークのDJ GRAVYとFEDERATION SOUNDのミックス・テープのアート・ワークを描いたことかな。それで彼らとのリンクを通じてMiss Lily’s(ニューヨークのジャマイカ料理店)とMiss Lily’sが関係するROCKHOUSE HOTEL(ジャマイカのホテル)とのリンクにも繋がって、そこで開催されるイヴェントのポスターや彼らのアパレルのデザインを手掛けることにもなったり、彼らが運営するインターネット・ラジオ局でもDJもするようになったんだけど、それをきっかけに知られるようにもなって仕事として広がっている感じかな。

 初めてのレコードのアートワークの仕事となるとCLIVE HUNT『BLUE LIZZARD』、そう、VP RECORDSからの。VP RECORDSとはそれ以来仕事を続けているし、そうだね、昨年の『STRICTLY THE BEST VOL.63』も自分が描いてる。

CLIVE HUNT
BLUE LIZZARD
VP RECORDS -2020
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STRICTLY THE BEST VOL.63
VP RECORDS – 2023
LINK

 あと、SILENT ADDYやマイアミのBASHMENT CREWとも続けて仕事をしているし、他にも様々な企業やブランドイヴェントとも仕事したりしているけど、最近だと先日のブルックリンで開催された「RED BULL CULTURE CLASH」でDJ PUFFY達のカリビアン・チーム「NO LONG TALK」が優勝したのを知っていると思うけど、彼らのステージやロゴやグッズも自分が描いたんだ。

NO LONG TALK
RED BULL CULTURE CLASH
BROOKLYN – 2024

 それと、ニューヨークのCAPICU! SCORPION RECORDSがSWEET CHICK(NASが経営するフライド・チキン・チェーン店)で開催するパーティーのボスターとTシャツも公開されたばかりだ。

CAPICU! SCORPION RECORDS
SIX LOVE at SWEET CHICK
QUEENS – 2024

●アーティスト名「SPLIFFINGTON」の由来は?

 最初はインターネットのチャットルームや掲示板のハンドル・ネームとして使い始めたんだけど、それはRUPIE EDWARDSが1971年にリリースした「The Return Of Herbert Spliffington」から取ったんだ、2000年代の始め頃かな。その当時はYahooのボイス・チャットとかで他の人達と結構レゲエのことでやり合ったりもしたんだけど、それがある意味良いイントロダクションにもなって、自分の存在がその中で少し知られるようになったんだ。当時はブルックリンのクラウン・ハイツに住んでいて、サウンド・クラッシュに行ったり、BLUE STEELという近所のサウンドとも遊んだりしていたんだけど、その中で「お前があのSPLIFFINGTONか?」と言われるようになったんだ。ちょうどその頃から無名なダンスホールのレコードを集めるようになって、『GUNWASH』というポッドキャストでDJをするようになったり、Miss Lily’sでもレギュラーでDJしたり、ジャマイカのROCKHOUSE HOTELでもDJするようになったんだけど、自分のDJ名とイラストレーターのアーティスト名を同じにすることでより広がりが生まれると思って、InstagramとかのSNSでも「SPLIFFINGTON」と統一して使うようになったんだ。それ以前からDJはしてたし、レゲエだけではなくファンクやディスコを毎週ニューヨークでDJしたり、アメリカ各地のフェスにも出演してたけど、その頃は別の名前でやってた。

 「SPLIFFINGTON」は、ブルースでよく使われる「STAGGER LEE」みたいに、架空と言うか、何かを象徴したり、特定のキャラクターを意味した名前としてレゲエやジャマイカの中ではよく使われているんだ。曲だけではなくて、80年代にはイギリスのSIR COXXONEのサウンドで活躍したSPLIFFINGTONというDeeJayもいたし。だから、自分も流用しているのに過ぎないけど、「SPLIFFINGTON」という名前はそれがジャマイカのレゲエのカルチャーの中の人であるということを伝えてくれる名前だとも思うんだ。

●レゲエやジャマイカをテーマに描く時に注意されていることはありますか?

 自分は部外者であるということ。自分の人生と仕事に大きな影響を与えてくれているジャマイカのレゲエとダンスホールのカルチャーには感謝しているし、そのカルチャーやアートを築いた全ての人達のことを最大限にリスペクトしている。ただ、自分がそのカルチャーを本当の意味で革新できるような存在だとは思ってはいない。自分はそのカルチャーの中で育っているジャマイカの人達にこれからも導いてもらうことになると思っている。現在も自分にとっては新しいことでも、ジャマイカで育った人達にはそうではないこともあったりもして、新しく発見したり学び続けている。最も大切なのは謙虚であること、そのカルチャーやアート、それを築いたきたジャマイカの人達に対して謙虚であることが一番重要なんだと思っている。これからもずっと彼らに敬意を持って謙虚に努めていこうと思っている。

●作品によって色々とスタイルを変えられていますけど、ご自身としてはどのスタイルを好んでいますか?

 自分のSASSAFRASSのスタイルの作品が一番知られていると思うけど、自分が一番描き慣れているのはカートゥーン・スタイルかな、それがレゲエをテーマにしてようとなかろうと一番描き易いんだ、もともと子供の時から描いてるからね。

SPLIFFINGTON – PAST WORKS

●現時点で自分の代表作と言えば何になりますか?

 自分の好みで言えば『PRINCE FATTY MEETS THE GORGON IN DUB』、そう、昨年にVP RECORDSからリリースしたLPのアートワーク。レゲエらしさやスタイルに縛られることなく、ただ自分が描きたいように自由に描かせてもらったんだけど、それがちゃんとレゲエの作品のアートワークとして認めてもらえた。

PRINCE FATTY MEETS THE GORGON IN DUB
VP RECORDS – 2023
LINK

●最後に、将来の予定、ご自身にとっての目標を教えてください。

 クラシックなダンスホールの曲を使用したアニメーション・シリーズを手掛けられたらな、って思っている。20年ぐらい前にSANCHO「Chase Vampire」、80年代のニューヨークではビッグ・チューンだったんだけど、その曲をコンセプトにした絵コンテを描いたりしたんだけど、現在でも実際にそれでアニメーションを作りたいと思っている。あとはこの仕事を続けて、レゲエとダンスホールのビジュアル面に出来る限りの貢献をしていきたいと思っている。

SPLIFFINGTON   Instagram

 

RTME
247RTME – T-SHIRTS
2024年7月24日発売

7月17日・18:00〜予約受付開始

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