藤川毅のレゲエ 虎の穴 REGGAE TIGER HOLE

 みなさんあけましておめでとうございます。昨年は小生の長い原稿におつきあいいただきありがとうございました。今年も長い原稿が続くと思いますが、あきれずにおつきあいいただけると幸いです。

 そして、実際に2011年一発目の連載8回目も長いのです。ごめんなさい。今回は2010年末にVP RECORDSからリリースされたデニス・ブラウン『REGGAE ANTHOLOGY - THE CROWN PRINCE OF REGGAE SINGLES1972-1985』についてというお題をいただきました。デニス・ブラウンは、リリースは多いし、レゲエ界を長年リードした大物、ゆえにこれまたハードルの高いお題・・。デニスの全キャリアを追うのはなかなかの作業になるので、ライナー・ノーツを書くイメージで、この時期のデニス・ブラウンを中心に少々の脱線もしつつ振り返ってみることにします。

 デニス・ブラウンという名前は小生がレゲエを聴き始めた70年代末から80年代には真のスーパースターでした。もちろんその頃のスーパースターはボブ・マーリーという代表的な存在がいました。でも、インターナショナルに活動するボブに対し、リアルなジャマイカを代表するスターはデニスだと言われたりもしていました。実際に81年、ボブが早世し、今後のレゲエの行方を展望したときに、ボブの遺髪を継ぐのはデニスに違いないと多くの人が思ったのです。80年代初頭のデニスがそのように目されるには、その時期に至るまでのデニスの活動が充実していたからに違いありません。今回VP RECORDSからリリースされた2枚組CDの収録期間は72〜85年。デニスのキャリアにおける最充実期と言ってよいかもしれません。今回の原稿では、そんな時期を顧みつつ、デニスの本質に少しでも近づくことが出来れば本望です。


 デニス・イマニュエル・ブラウンは1957年2月1日生まれ。小生がレゲエを聴き始めた頃には風格を持った大レゲエ・スターでしたから、もっと年上のように思っていましたが、実は小生と7歳しか変わらないのです。デニスは、2010年に亡くなったシュガー・マイノットよりもひとつ年下だったりします。ちなみにデニスが亡くなったのは1999年。42歳という若さでした。デニスが亡くなった歳を遙かに超えている自分がいるのにも驚きます。蛇足ですが、スカタライツなどで活躍したキーボード奏者、ジャッキー・ミットゥは1990年に亡くなりましたが、その時ジャッキーも42歳でした。

『NO MAN IS AN ISLAND』(70年)
『NO MAN IS AN ISLAND』
『IF I FOLLOW MY HEART』(71年)
『IF I FOLLOW MY HEART』

 デニスは、5人兄弟の末弟で、上に3人の兄と1人の姉がいます。父は、脚本家で、自分でも演技をする役者でもあったようです。デニスがいくつから歌い始めたかについては諸説あり、デニス自身のインタヴューでも多少ずれていたりしますが、66年、キングストンのナショナル・シアターで開催されたミリアム・マケバ(「パタ・パタ」などで知られる南アフリカの女性歌手)の公演で前座を務めたという記録が残っています。このとき9歳前後ですから、この少し前には歌い始めていたというのが順当な見方でしょう。68年には『スマッシュヴィル68』というキング・カーティスらが出演したイベントのフロント・アクトとして出演の経験もあります。これは、デニス・ブラウンというキッズ・シンガーがキングストンの音楽シーンで話題になっていたことの証左でもありますね。この時期、デニスは、ファルコンズというバンドのヴォーカルとして歌っていました。そんな話題の少年シンガーに録音の白羽の矢が立たないはずはありません。そしてしっかり矢は立ちました。

 その白羽の矢を立てたのは、誰あろう、〈スタジオ・ワン〉のコクソン・ドッドでした。70年頃の話です。最初の録音は英国のグループ、ホリーズのカヴァー「Love Grows」でしたが、最初にリリースされたのは、大ヒットとなり、後に〈スタジオ・ワン〉からのアルバム・タイトルにもなった「No Man Is An Island」でした。この曲はアメリカの黒人ヴォーカル・グループ、ヴァン・ダイクスのカヴァーです。この時期のデニスは、米R&B〜ポップスをレゲエ・カヴァーで歌うシンガーという趣でした。70年頃というとデニスもまだ13歳で、まだまだ若かった故、自作曲よりもカヴァーを歌わせるというのは、プロデューサーにとってある意味当然の選択だったでしょうね。この時期のデニスの作品は〈スタジオ・ワン〉からの2枚のアルバム『NO MAN IS AN ISLAND』(70年)と『IF I FOLLOW MY HEART』(71年)を。




01. MUSICAL HEATWAVE
02. LET ME DOWN EASY
03. CONCENTRATION
04. SILHOUETTES
05. DON'T YOU CRY
06. WHAT ABOUT THE HALF
07. LET LOVE IN
08. BLACK MAGIC WOMAN
09. SONG MY MOTHER USED TO SING
10. AT THE FOOT OF THE MOUNTAIN
11. TO THE FOUNDATION
12. SATISFACTION FEELING
13. CREATED BY THE FATHER
14. TROUBLED WORLD
15. A CUP OF TEA
16. WANT TO BE NO GENERAL
17. PRAISE WITHOUT RAISE
18. ROCKING TIME
19. PROMISED LAND
20. BREAKING DOWN THE BARRIER
.............................................


『SUPER REGGAE & SOUL HITS』
『SUPER REGGAE & SOUL HITS』

 コクソン・ドッドの次にまとまった録音をしたのは、デリック・ハリオットでした。デリック自身もソウルから強い影響を受けたシンガー、プロデューサーであるがゆえ、デニスのカヴァー路線というのはデリックのもとに移ってからも既定路線のように続きました。今回のCD/DISC1に収録の1〜4曲目がデリックの制作です。この4曲はリトル・スティーヴィ・ワンダー時代のアルバム・ジャケットを意識したかのような73年リリースのアルバム『SUPER REGGAE & SOUL HITS』に収録されています。よってこのCDに収録の1〜4曲目は73年以前のリリース、72〜73年の録音と言うことになりますね。これらは、デリックの〈クリスタル〉や〈ムーヴ&グルーヴ〉といったレーベルからリリースされていました。

 デニスの代表曲でもある4曲目「Silhouettes」は、アメリカのドゥーワップ・グループ、レイズがオリジナルです。曲調もロマンティックな佳曲ですが、歌詞は、「彼女の家を見に行ったら、男女の仲むつまじい様子のシルエットが浮かび上がり、見に行った男は怒るのだが、実はその家はお隣さんでした」という、他愛もない内容だったりします。ちなみに〈ムーヴ&グルーヴ〉からのジャマイカ盤7インチや、〈ソング・バード〉からの英国盤7インチには作者名としてJ・ティーガーデンとR・キャラハンとクレジットされていますが、これはデタラメ。本当は、ボブ・クルーとフランク・ジュニア・スレイのペンによるものです。この曲は、イギリスのバンド、ハーマンズ・ハーミッツによってもカヴァーされていまし、ボブ・ディランもベースメント・テープスのセッションで録音しています。この曲をかいたボブ・クルーはフランキー・ヴァリ「Can't Take My Eyes Off You」(ボーイズ・タウン・ギャング「君の瞳に恋してる」のカヴァーも有名)の共作者でもあります。

 ちなみに、このデニス版「Silhouettes」ですが、同じリズム・トラックでビッグ・ユースがDJしている曲もあります。この曲も〈ムーヴ&グルーヴ〉からリリースされていますが、裏面はオーガスタス・パブロによるメロディカ版となっています。



 5曲目は、アルヴィン・ラングリンの〈GG's ヒット〉からリリースされていた曲です。71年のリリースという情報もありますが、このアルバム・タイトルからすると72年以降なのでしょうね。アルヴィンはグレゴリー・アイザックスの初期の作品を手がけたプロデューサーです。ジャマイカを代表する名ギタリスト、アーネスト・ラングリンとは親戚関係です。



 6〜8曲目はフィル・プラットの制作曲です。これらはジャマイカでは〈サンショット〉からリリースされています。「Let Love In」と「Black Magic Woman」は後年、英〈バーニング・サウンズ〉よりリリースされたこともありました。

『PHIL PRATT THING』
『PHIL PRATT THING』
『RUMOURS/噂』『MIRAGE』
L:『MIRAGE』 R:『RUMOURS/噂』

 6曲目の「What About The Half」のシングルの盤面には、作者としてホレス・アンディとフィル・プラットの名前があります。ジャマイカ盤のシングルのクレジットは先にもデタラメを指摘させていただいたように信用おけないのですが、このクレジットは信用しても良さそうです。フィル・プラットことジョージ・フィリップスは、コクソン・ドッドのサウンド・システム、ダウン・ビートの機材係として業界に携わりはじめ、自分で制作するようになった当初はケン・ラックの〈カルトーン〉や〈WIRL〉からリリースしていました。〈カルトーン〉時代にはホレス・アンディの作品を手がけていますし、プラットとホレスの関係からしてクレジットには嘘がないように思えるからです。

 「Let Love In」は「Let Loving」や「Love In」というタイトルで表記されていることもあります。〈プレッシャー・サウンズ〉からのコンピレーション、『PHIL PRATT THING』にも収録されています。このアルバムにはこの曲のディリンジャーによるDJ版も収められていますが、この曲は〈ターミナル〉というレーベルからリリースされていました。

 「Black Magic Woman」は、サンタナでお馴染みですが、オリジナルはピーター・グリーン在籍時のフリートウッド・マック、ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マックがオリジナルです。フリートウッド・マックというと全米でベストセラーとなったアルバム『RUMOURS/噂』(77年)、『TUSK』(79年)、『MIRAGE』(82年)が有名ですが、グリーン在籍時は、イギリスのゴリゴリのブルーズ・バンドでした。この曲は、ブルーズ時代のマックの代表曲のひとつ。マック版は68年、サンタナ版は70年ですから、全米でヒットしたサンタナ・ヴァージョンをうけてのカヴァーだったのでしょうね。


『AQUARIUS DUB』
『AQUARIUS DUB』


 9曲目はハーマン・チン・ロイの制作による曲です。この曲は〈スコーピオ〉と〈アクエリアス〉というレーベルからジャマイカ盤7インチが出ています。〈アクエリアス〉というと最初期のダブ・アルバムとして有名な『AQUARIUS DUB』があります。そこに収録の「Rest Yourself」はデニス・ブラウンによるキャロル・キング「It's Too Late」のカヴァーですし、「Heavy Duty」こそ、本作に収録の「Song My Mother Used To Sing」のダブに他なりません。



 10曲目「At The Foot of The Mountain」はエディ・ウォンの〈ダウン・タウン〉からジャマイカ盤7インチが出ていました。73年のリリースです。〈インパクト〉からリリースされていた記憶もあります。こういう、あまり有名ではないレーベルの曲が収録されているのがシングル集の醍醐味でもありますね。



UNCHALLENGED  11曲目「To The Foundation」は超有名曲ですね。サウンド・システムの定番中の定番といって良いかもしれません。制作はオーガスタス・ガッシー・クラークです。ガッシーは、不振だった80年代末のデニスの復活作としても評価される『UNCHALLENGED』(VP RECORDSから88年、GREENSLEEVESから90年にリリース)など、デニスの末期の代表作の制作者としても知られます。デニスとジョー・ギブスとの親密な関係が崩壊してしまった後、デニスを支えたのがガッシーであったということもできるかもしれません。ジャマイカの有名スタジオ、アンカー/ミュージック・ワークスのオーナーでもあります。

 この曲はジャマイカでは78年に〈ガッシー・パピー〉からリリースされました。その後に「Funny Feelings」とのカップリングで12インチでも発売され、これらはイギリスで大変な人気となりました。78年はイギリスでレゲエの12インチが流行しはじめていました。トリニティのDJが接続された「Funny Feelings」と「To The Foudation」のカップリングのジャマイカからの輸入12インチは、通常の7インチ盤が70ペンス、プレリリースの7インチが1ポンド20ペンスという時代に4ポンド50ペンスという高額にもかかわらず、大変な人気を獲得したのです。その人気から、カーニヴァル・シーズンの8月に英国盤12インチが2ポンドの価格で〈ホークアイ〉からリリースされ、『ブラック・エコーズ』紙のレゲエ・チャートでA面扱いだった「Funny Feelings」がトップを獲得したのでした。


『UMOJA LOVE AND UNITY』
『UMOJA LOVE AND UNITY』


 「Satisfaction Feeling」は、同名のアルバムが、デニスの奥さんの名前を冠したレーベル〈イヴォンヌズ・スペシャル〉からリリースされています。74年の発表だと思われます。この曲自体は、〈L.B.E. プロダクション〉より再発7インチが出ていますが、そちらはデニス・ブラウン&ザ・ヘプトーンズとクレジットされています。その7インチではプロデュースとアレンジもデニス・ブラウン&ザ・ヘプトーンズとなっていますが、デニス・ブラウン&A・スモールとクレジットされているものもありますので、記しておきます。ちなみにこの曲のダブは、〈D.E.B.〉からの『UMOJA LOVE AND UNITY』に収録されています。


〈D.E.B.〉
〈D.E.B.〉レーベル・ロゴ

 13〜16曲目は、70年代のデニス・ブラウンのキャリアを代表するレーベルのひとつと言っても良いでしょう〈D.E.B.〉の作品です。〈D.E.B.〉は、Dennis Emanuel Brownの略。そう、デニス自身のレーベルです。〈D.E.B.〉について書き始めると、連載1回分でも足りないぐらいあるので、簡単に書きますが、やはりデニス自身のレーベルでもありますので、少しスペースを割きつつ、書きたいと思います。

 〈D.E.B.〉はジャマイカ盤とイギリス盤がありますが、コレは微妙に違うと考えた方がよいでしょう。イギリスの〈D.E.B.〉は、デニスの兄(実際は兄ではなく、従兄弟の説もあり)、カストロ・ブラウンが運営していた〈モーフィアス〉を前身としたカストロ・ブラウン主導のレーベルといえるでしょう。とはいえ、デニスの作品をリリースしましたし、ジャマイカ制作の音源をイギリスでリリースするという機能を持っていましたから、全くの別物ではないのですけれどもね。

 ジャマイカでの〈D.E.B.〉の最初期リリースは75年の「Moving Away」あたりでしょう。本格的なリリースは77年あたりからですが、「Children of Israel」や13曲目「Created by Father」などがこの時期の作品です。ざっくりというと、77年頃から活発になってきたジャマイカでの〈D.E.B.〉の制作物を、英国できちんと流通させるために英国での部門をカストロに任せ、カストロはそれ以前よりやっていた自身の制作も合わせて〈D.E.B.〉として制作・リリースするようになったということになります。

『RELAXIN WITH LOVERS』シリーズ
『RELAXIN WITH LOVERS』シリーズ
『PROMISED LAND 1977-1979』
『PROMISED LAND 1977-1979』
『UMOJA / 20th Century DEBwise Dennis Brown Presents King Jammy』
『UMOJA / 20th Century DEBwise Dennis Brown Presents King Jammy』

 英国〈D.E.B.〉の最初のリリースは77年の15,16,17の「Someone Special」。15,16,17はカストロが〈モーフィアス〉時代から手がけている女性トリオです。このように〈D.E.B.〉はカストロ主導のイギリス流ラヴァーズ・ロックの制作も行っていました。このあたりの音源は手前味噌で申し訳ないけれど、小生が選曲解説を担当した『RELAXIN WITH LOVERS』の1、2集にまとめられているので、聴いていただけると幸いです。甘いレゲエ、ラヴァーズ・ロック好きなら聴いて損はないかと思います。この『RELAXIN WITH LOVERS』は、キューン・ソニーからのリリースでしたが、アルバムを制作するに当たってのコーディネーションをしてくれたのは24×7RECORDSの八幡さんでした。余談ですがw


 〈D.E.B.〉からのデニスの最初のアルバムが『WOLF & LEOPARDS』です。これはジャマイカとUKの〈D.E.B.〉からリリースされていますが、同じジャケットでジャマイカの〈ウィード・ビート〉盤もあったりします。『WOLF & LEOPARDS』には、13 曲目「Created by Father」が収録されています。

 14曲目「A Cup Of Tea」は、〈D.E.B.〉から79年にシングルが出ていますが、ジョー・ギブス系の〈ベルモント〉らも7インチが出ていますし、ギブス制作のアルバム『JOSEPH'S COAT OF MANY COLOURS』にも収録されているため、ギブス制作曲として認識されることもありますが、〈ブラッド&ファイア〉からの〈D.E.B.〉制作集『PROMISED LAND 1977-1979』にも収録されています。ちなみに14,16曲目もそれぞれこの『PROMISED LAND 1977-1979』に収録されています。〈D.E.B.〉期のデニス・ブラウンのダブの多くはブラッド&ファイアから2004年にリリースされた『UMOJA / 20th Century DEBwise Dennis Brown Presents King Jammy』に数多く収録されているので要チェックです。16曲目「Want To Be No General」のダブも収録されています。



 17曲目「Praise Without Raise」は、グレゴリー・アイザックスとの関係も深い〈キャッシュ&キャリー〉からジャマイカ盤7インチが出ていた曲です。制作はデニス自身とトレヴァー・ダグラス。この曲は82年に〈イヴォンヌズ・スペシャル〉からリリースされています。

『SATISFACTION FEELING』
『SATISFACTION FEELING』

『DISTANT RELATIVES』
『DISTANT RELATIVES』

 続く18曲目「Rocking Time」も〈イヴォンヌズ・スペシャル〉から12インチでリリースされていました。80年代に入ると<D.E.B.>からのリリースが減り、自身の制作物には〈イヴォンヌズ・スペシャル〉が使われるようになっています。「Praise Without Raise」は、〈イヴォンヌズ・スペシャル〉から83年にリリースした『SATISFACTION FEELING』(12曲目で触れたアルバム)に、「Rocking Time」は、81年に〈イヴォンヌズ・スペシャル〉からリリースされた『MORE』にそれぞれ収録されています。


 19曲目「Promised Land」は、デニス自身が何度も再演している代表曲のひとつですが、ここではイギリスのルーツ・レゲエ・バンド、アズワッドとの共演ヴァージョンを収録しています。ここで使用しているリディムのオリジナルはアズワッドの「Love Fire」ということから実現した組み合わせです。プロデュースには、アイランドでアズワッドや多くのレゲエを手がけたマイキー・(ルーベン・)キャンベル(マイティ・ドレッドの本名と同じだが同名異人)が手がけています。リリースはアズワッド作品をリリースしていた〈シンバ〉より。

 ちなみにこの曲のリディム[Love Fire]は今でも大人気で、2010年にリリースされ話題となったナズとダミアン・ジュニア・ゴング・マーリーのアルバム『DISTANT RELATIVES』でもこのデニス・ブラウンの歌入り版が使用されていますし、ブラック・トゥワング&K9の「Blunted Inna England」のような非レゲエ勢にも使用されているほどです。



 1枚目のラスト、20曲目「Braeking Down The Barrier」は、83年にイギリスの〈ナッティ・コンゴ〉より12インチでリリースされた曲。プロデュースはデニス自身とトレヴァー・ボウ。トレヴァーは、イギリスで〈ナッティ・コンゴ〉を運営しているプロデューサーで、主に80年代の前半にサンズ・オブ・ジャーなどを中心に50枚弱のシングルをリリースしています。

 ちなみに、初期のデニスの録音があるレーベルでこのシングル集に未収録なのは、ロイド・デイリーの〈マタドール〉(ウォン・カーワイの映画『恋する惑星』で使用された「Thing in Life」はここの作品)、〈プリンス・バスター〉、〈インパクト〉〈ランディーズ〉などがあります。


DISC2のエピソードはこちらから!


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