ともだちのフリして聞いてみた

JAPANESE DANCEHALL PRODUCER - HASE-T
from TREASURE HOUSE RECORDS
プロデューサー10周年記念雑談

 不定期連載企画の第2回。今回はHASE-Tさん。


 HASE-Tさんはある意味既に「ともだち」。先月も一緒に駅伝に参加してみたりもしている。ただ、仕事を通じて知り合ってからはかなり長いけど、実際にちゃんと話したことは少ない。と言うか、実際にはそんなに頻繁に会うコトも、連絡取り合うコトもない。作品を通じてその活動をチェックしつつ、たまに会うとお互いの近況を報告したりするぐらい。で、駅伝に一緒に出たのもそうした近況報告の中で、HASE-Tさんが「ランしてる」というのを知っていたから、マイ・クルーが「お誘いします」となった感じ。そんな中途半端なお付き合いも「良くないね」と思ったりしつつ、変にお付き合いしている期間も長いから「今さら聞けないな」だったんだけど、「あー、だったら、あの連載を使って聞けばいいぜ」としてみた感じ。うん、駅伝で走っている時にそう思った。

 で、なんだかんだで3時間ぐらい話しました。自分としても気になっていたことは全部聞けました。そのために失礼な質問もしてみました。で、かなり面白かったです。HASE-Tさんのコトもだけど、プロデューサーという仕事とかに興味ある人は読んで欲しいと思います。あと、ユーツ達に読んでもらうと良い感じの話もあるので、「長い」とか文句言わずに読んでみて欲しいです。本文が長いので前置きはこれぐらいに。

 HASE-Tさん、有り難うございました&大変失礼しました。今後ともヨロシクです。


◆ HASE-Tさんの世代だと、自分もそうですけど、レゲエとかダンスホールって現在ほどポピュラーな存在ではなかったと思うんですけど、どうやってそれと出会うことになったんですか?

中学二年ぐらいからバンドやっていたんですよ。その頃はハードコア・パンクがやりたくて、真っ赤な髪のモヒカンとかにしたかったんですよ(笑)。SEX PISTOLSとかの70年代のリアル・パンクではなくて、その後のハードコアなパンクですね、DISCHARGEとか、GBHとか、EXPLOITEDとか。出身は新潟なんですけど、なかなか一緒にやれる人達がいなかったんですけどね。そうしたパンクとか、ニューウェイヴとか聴いていたんですけど、当時はパンクもレゲエも色々と普通に繋がっていたじゃないですか?だからその流れの中で自然とレゲエとも出会うんですよね。でも、自分の場合はBOB MARLEYとかではなくて、最初がいきなりダブで、しかも〈JOE GIBBS〉の『AFRICAN DUB CHAPTER 3』で、それにめちゃめちゃ喰らったんですよね。「めちゃくちゃ格好いい」って(笑)。そこからYELLOWMANとか、GREENSLEEVESから出ていたKILLAMANJAROのライヴ盤とか色々と片っ端から聴いていった感じですね。


 

◆ で、そこからパンク・バンドではなくてレゲエDJを目指したんですか?

いや、とりあえず高校を出て上京するんですけど、それもバンドがやりたくて東京に行くことにしたんですよ。婦人服屋で住み込みで働くことを口実にして、バンド・メンバーを探したんですよ。その時はスカ・バンドをやりたくなってましたね。SPECIALSとかの〈2 TONE〉のスカとかも好きだったんですけど、東京に来たらGAZ MAYALLが出していた輸入盤のスカのカセット・テープのシリーズとかあるじゃないですか?それを聴き漁っているうちにSPECIALSのオリジナルだと思っていたものが、ジャマイカのカヴァーだったこととかを知るんですよ。ええ、「Monkey Man」がTOOTS & MAYTALSとか。そういうことから、ジャマイカの音源に興味を持つようになっていくんですよね。で、バンドのメンバーも見つからないし、職場や周りでも話の合う人が居なくて、クラブとかに行くようになったら、色々と話が合う人達と出会えたりするようになって、そっちが楽しくなっちゃって段々と仕事も行かなくなって、一年半ぐらいで婦人服屋も辞めちゃうんですよ。そこからはバイトとかしてましたね。で、ちょうどその頃ダンスホールがデジタル化した時期と重なるんですけど、そこでTIGERの『ME NAME TIGER』と出会って、それがある意味決定打でしたね。それと、その当時にはもうRANKINさん(RANKIN TAXI)がDJも、TAXI HIFIもやってて、それが大きかったですね。


◆ RANKINさんを見て「これなら俺にも出来る?」って思ったんですか?

いやいや(笑)、何言ってんですか!やめてくださいよ(笑)。RANKINさんを見て「俺もやってみたい!」と思ったんですよ。それで7インチとか買って、ヴァージョン/リディムに合わせてDJの練習とかを始めるようになったんです。それからRANKINさんをクラブの前で待ち伏せするようになって(笑)、スピーカーを運ぶのを手伝わせもらうことでクラブに潜り込んで、RANKINさんがマイクを握っているところに、「自分もやらせて下さい」って頭下げる感じで握らせてもらうようになったんですよね。そこからTAXI HIFIの一員として活動するようになるんですよね。CHAPPYとか、牛若丸とか、みんなそんな感じでしたね、自分から「やらせて下さい」ってRANKINさんのところに行くみたいな。


◆ 作品もリリースしてましたよね。

最初は〈MAJOR FORCE〉ですね。90年代ですね。レゲエというよりもインディペンデントのクラブ・ミュージックのレーベルとしては最初のレーベルかもしれないですね。当時のクラブって、レゲエもヒッフホップもソウルもパンクもなんでもプレーされる感じだったんですけど、そういう感じのレーベルでしたね。そうそう、高木完さんとか、藤原ヒロシさんとか、中西俊夫さんとか・・、少し上世代の人達がメインの感じでしたけど、レゲエでは僕とかCHAPPYとか録音してましたね。その頃はレゲエというよりもクラブ・ミュージックを作っている感じでしたね。その後に〈FILE RECORDS〉とかでもやったり色々とリリースしてました。


◆ なぜアーティストとしての活動は止めてしまったんですか?

その最後の方の頃で、自分は30才とかになってるんですけど、下の世代のアーティスト達が色々と出て来て「新鮮だなー」「負けちゃうなー」って(笑)、っていうのもあれですけど、本当は90年代の半ばに〈FILE RECORDS〉とかからリリースしていた頃に、自分でトラックを作るようになっていたんです。その時から「どうやってダンスホール・リディムを作るんだ」という長い旅が始まるんです、ええ、現在までそれが続いてるんですけど(笑)。で、そっちに夢中になっていくんですよね。


◆ 実際にどうやって作り始めたんですか?

HASE-T
HASE-T

周りで作れる人もいないし、当時はヒップホップのトラックとかを作っている人達に「こんな感じで」と作ってもらったりもしていたんですけど、それではダメだから自力で作るようになるんですよね。で、その頃にジャマイカに行く機会があって、スタジオで実際にリディムを作るところとか曲を作るのを見て、それを真似することから始めました。

◆ 具体的に誰を見たんですか?

SKATTAです。ええ、〈KINGS OF KINGS〉の。当時は彼も自分のレーベルを立ち上げる前でしたけど、彼がミックスする時にパンチ・イン、パンチ・アウトをやるのを見て、「あー、ダンスホールのリディムってこう出来ているのか」って知るんです。つまり、ダンスホールって、実は全部のチャンネルに色々な楽器の音が曲の頭から最後までフルに録音されているんですけど、エンジニアがその音を使う箇所と部分を決めて、音を「抜き/挿し」して曲として仕上げていることをそこで知るんです。曲を聴くと、「ココしか演奏してない」とか思ってたんですけど、そういうことではなかったんですよね。ええ、当時はそんなことも知らなかったですし、日本ではなかなか知ることができなかったですから。で、SKATTAがコンソール卓のチャンネルのボタンをまるで楽器を弾くように入れたり、抜いたりするのを見て、結局最後はエンジニアが曲を作っているのを知って、「これなら真似できるかも」って思っちゃったんですよね。そこから試行錯誤していたんですけど、当時にAKAIのMPC3000ってサンプリングの機械が登場して、それで飛躍的に進歩と言うか、作れるようになっていくんです。って、そのAKAIで世界中にトラック・メーカーが登場できるようになったとも思うんですけど。あと、「どうもDAVE KELLYはあの機械でベースを作っている」と聞くと、それを試したりみたりとかしましたね。ええ、全部独学で使い方とかは学びました。


◆ なるほど。でも確かに当時は現在よりも情報量が圧倒的に少ないですから、作ると言うか、知ることすらも大変でしたでしょうね。で、それでリディムを作るようになってから、どうやって実際に作品を作るようになったんですか? 日本人のダンスホールのプロデューサー、リディム・メーカーの存在も少なかったし、需要と信頼もまだ無かった頃だったと思うんですけど。

DANCEHALL PREMIER
DANCEHALL PREMIER

VICTOR ENTERTAINMENT / VICL-61152
2003.06.25

当時の渋谷のシスコ・レゲエ店の鎌田さんに「リディム作ってる」って言ってたら、それを鎌田さんが友達でレーベルで働いてる方に話してくれたみたいで、その方から「コンピレーション・アルバムを作りませんか?」って話を頂くんですよね。それが03年の『DANCEHALL PREMIER』です。そうです、最初にお会いしたのもそれがきっかけでしたよね、ジャマイカの空港で(笑)。なので、自分のプロデュース・アルバムとしてはそれが初めてなのですけど、今年をプロデューサー活動10周年としているのは、まぁ、トラックメーカーとして初めて外にRiddimを提供したのがレーベル〈THUNDER GATE〉で、その頃からぐらいな感じで、結構アバウトだったりもするんです(笑)。


◆ あー、分かりました。そこからの活動は詳しく見てきているのですけど、それまでの経緯とかはいつも聞いてなかったので、よく分かりました。で、なんかココからは自分が見てきたことで、インタヴューのフリして色々と聞かせて下さい。まず、「プロデューサー」と言っても色々なタイプがあると思います。全てを自分で作る人もいれば、お金とアイディアとかを準備して色々な人達に作ってもらう人もいますよね。HASE-Tさんの場合は具体的にどこまでされているんですか?

リディム作って、アーティストに発注して、歌のディレクション、録音、そしてミックスまで全部です。予算管理もですね。そうですね、最近はミックスも自分でやってます。これまでに150曲ぐらいジャマイカでやってきましたけど、そうした経験で自分でやれるようになってきたのもありますし、生々しいですけど、予算のコトもありますね。


◆ アーティストの歌詞とかにも意見するんですか?

しますね。曲のテーマはアーティストに任せますけど、それで書いてきてもらった曲に意見を出すことはありますし、先日も某アーティストに5回ぐらい歌詞を書き直してもらいました。勿論、アーティストと意見を出し合いながらですけど、自分のレーベルの作品で、自分のプロデュースであるならば、自分が共感できる内容でないといけないとは思ってます。ええ、そうですね、世代の違う女性シンガーのラヴ・ソングを全て彼女の気持ちとして理解するのは難しいですけど、そうした場合もそれを曲とした場合に自分として「良いもの」かどうかで判断していますね。


◆ これまでのコンピレーションを見ると、起用されるアーティストに傾向があると思うんですけど、そのあたりは意図があるんですか?

10th ANNIVERSARY SPECIAL BEST OF HASE-T
10th ANNIVERSARY SPECIAL BEST OF HASE-T PRODUCE & WORKS THE THREE STARS★★★

VARIOUS ARTISTS
CUTTING ADGE / CTCR-14703

MONA LISA SMILE RIDDIM
MONA LISA SMILE RIDDIM
VARIOUS ARTISTS

全着うたサイト配信開始!
SONGS LIST
01. Angel - J-REXXX
02. My Friend - Micky Rich
03. Mona Lisa Smile - Domino-Kat
04. Like A love Song - YuKaRi
05. Step To The New World - miyu

(問)TREASURE HOUSE RECORDS
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HASE-T twitter:@HASE_T

基本として「自分の知り合い」です。自分とリンクがあって、そのアーティストとしての魅力を知っている人になることが多いです。現在の日本のトップに立っている人達ともやってきましたけど、現在は若手だったり新人を起用したい気持ちが強いです。トップの人達は自分達で作れますけど、若い世代の人達は発表する機会も少ないですし、そうした機会や場を提供していくことも大切だと思っていますね。やはりずっと日本のレゲエ・シーンにいて、次の世代を育成していくことは大切に思っているんです、特に現在は変わり目とも思っていますし。


◆ 変わり目と言うと?

これまでは一つの大きな「ダンスホール・ムーヴメント」として展開してきていて、個々のアーティストよりもシーン全体が注目されてきた時期だったと思うんです。アーティスト全員で「日本にダンスホールを伝える、広める」みたいなところもあったと思うんです。で、その成果として現在ではレゲエもダンスホールも一般的に知られるものになりつつあると思うんですけど、その段階を経てココからは全員や全体ではなくて、個々のアーティストにより注目が集まっていく時代かな、とも思っていて、ちょうど現在がその転換期かな、とも感じているんです。そうですね、全てのロックではなく、個々のロック・バンドごとに人気が出るような感じみたいにレゲエとかもなっていくかな、って思ってますね。ある意味「普通」の状態とも言えるのかもしれませんけど。で、そうした中で、今後に活躍していける新しい才能を発掘したり、育成していくことも大切に思うんですよね。そういう新しい世代をフック・アップしていきたいという気持ちはありますね。ええ、勿論「知り合いじゃないとやらない」ではないので、どんどん売り込んでもらいたいとも思いますね。


◆ 少し戻りますけど、プロデュースする際に一番意識しているコトって何ですか?

自分が好きなコトしかやらないってこと(笑)。「最新」ですね、自分のこだわりは。最先端にしか興味がないんです。ジャマイカの最先端に対して回答していく、というのはありますね。そうですね、ジャマイカの最先端も勿論ですけど、彼らがその元ネタにしているヒップホップやR&Bの最先端のものも好きですし、チェックしています。勿論、ダブ・ステップや、テクノやジャンルにとらわれずに気になるものは全部。うん、レゲエだけでなく、ヒップホップとか、クラブ・ミュージックって、ずっと元ネタになるものってあるじゃないですか、それをどう自分達のスタイルに取り入れるかってことなんですけど、そうした元ネタとなりそうなものは色々と聴いてますね。現在ですか? うーん、現在のダンスホールだったら、やはりSTEPHEN(McGREGOR)かな、一番面白いことをしていると思うプロデューサーは。


◆ 「自分が好きなコトしかやらない」と言えば、遊助(上地雄輔)ともやっていますよね。アレもそう言える仕事なんですか? 経緯も含めて聞かせてくれますか?

アレは「外仕事」になりますね。本人がダンスホールやソカが好きだということで、制作にあたってレコード会社の方に相談されたみたいで、それでそのレコード会社の方から打診された感じですね。いや、歌詞とかはタッチしていないですね。自分で全部やる仕事と、クライアントから発注される「外仕事」は自分の中では分けていて、「外仕事」の場合は、クライアントが求めているものにどう近づけるか、を考えてますね。先方は自分がダンスホールのプロデューサーと知っていて仕事を依頼してくるわけですから、それは分かっていてくれるじゃないですか? なので、嫌なコトをさせられるわけではないし、それなら受けないです。ええ、好きなコトしかしたくないですから。で、その依頼や制約の中で、どれだけ自分の色を出せるか、お互いに満足できるものにするか、を大切に考えていますね。そうですね、また違ったコラボレーションでもありますね。そういう意味では自分としての仕事は出来たと思ってます。ええ、そうした感じでやれるのであれば、今後も誰の曲だって引き受けますし、どんどんやりたいですね。アーティストではなく、音を作る方の立場ですから、自分のコトを知ってて、それで発注してくれるのも嬉しいですし、それで自分の音とかをレゲエ・シーン以外の人に聞いてもらえるのも有り難いと思いますね。遊助の効果ですか? うーん、twitterのフォロワーが少し増えましたね(笑)。


◆ 話が変わりますけど、アーティストの場合って、印税だけでなく、ショーやイヴェントの出演料や複数の収入の方法が色々あると思うんですけど、プロデューサーの場合はどうなんですか? コレを読む若い世代にもプロデューサーを目指している人達もいると思うんですけど、そのあたりも聞いていいですか?

HASE-T収入は基本印税ですね。作った分、売れた分、仕事した分って感じですね。そういう意味では決して楽な仕事ではないです。厳しさはあります。特に最近の音楽業界の状況からすれば今後はもっと厳しくもなるでしょうし。でも、それはプロデューサーに限らず、アーティストでも、サウンド・マンでも、あとどの職種でもそうでしょうけど、なんでも大変なのは当然で、結局はやる気次第だと思うんです。最初から「大変」と思うぐらいなら、止めておいた方がいいんです。どうしてもやりたいコトをやっていくという気持ちが大切で、それを続けていけばきっとお金やチャンスも自然と回るようになると思うんです。特に現在は自分の活動とかを色々な方法で多くの人に知ってもらえる時代でもあるし、あとはやる気だと思うですよね。うーん、続けてこれた理由ですか・・、まぁ、でも「情熱」ですね。レゲエが好き、っていう「情熱」しかないですね。


◆ 「情熱」・・・、ですね、やっぱ。それは確かかも。あと、話が飛びますけど、現在は全て自分でやっているんですよね。

5年前から〈TREASURE HOUSE〉という自分のレーベルを立ち上げて、昨年から自分で会社も興しました。レーベルは、これまでは色々なメジャー・レーベルとかと一緒に仕事してくカタチが多かったんですけど、そうした経験からより自分らしい活動拠点を作りたかったのもありますね。まっ、会社は色々と手続き上で法人にしておく方が良かっただけで、別に作りたかったわけとかではないですけど。で、制作関係のコトは勿論ですけど、ホーム・ページやFacebook、twitterとか、リリース資料とか、契約とかも全部自分でやってますね。大変と言えばそうですけど、自分でやれるコトは全部自分でやりますね。

MONA LISA SMILE RIDDIM
10月5日全曲配信スタート!
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◆ あー、なんか頭が下がると言うか、耳が痛いと言うか・・。ええ、素晴らしいっす。えー、話を変えましょ。また新しい音源をリリースですけど、ココにきてさらにかなり活発な動きになっていますね。

そうですね。現在はCDよりも配信でのリリースをメインにしているんですけど、CDよりもスピード感があるのが良いのと、あと、さっきも話したように色々と若いアーティストや新しいアーティストを多く録っているんですけど、彼らを知ってもらうには配信とかは適しているとも思いますね。コンピレーションのCDでリリースするよりも誰のどの曲がどう反応されたかが配信の場合は分かり易いのはありますしね。まっ、テストではないですけど、そこでの反応や話題から、それこそCDでアルバムをリリース出来るようになっていってもらえたらな、とかは思いますね。


◆ 今後の展望や目標みたいなものを聞かせて下さい。

やりたいコトをやり続ける(笑)。まぁ、10年続けて来たことも自信にはなっているので、それをもとに色々とやりたいですね。レゲエやダンスホールは軸ですけど、レゲエの枠にとらわれずに・・、あと、海外でもやれるようにしたいですね。自分のインスト・アルバムを世界でリリースするとか、夢はありますね。DIPLOとか、彼のフォロワーも多いですけど、ダブ・ステップとかもダンスホールをベースにしているけど、なんかそういうジャンルレスな部分でもやってみたいですね。インストだったら歌詞とか言葉も関係ないですしね。そうした作品を海外で聴いてもらえるようにするのも目標ですね。


◆ えー、あと、聞き忘れてたんですけど、、一番影響を受けたプロデューサーと言えば誰になりますか?

ああ、それはSTEELY & CLEVIE(即答)。デジタルなダンスホールと言えば、二人が〈JAMMY'S〉とかで作り出したものが全てのオリジナルだと思っているんです。それを基本にしていると言うか。そういう意味ではSTEELY & CLEVIEしかいないです。


◆ あー、納得です。確かにレゲエとかダンスホールという意味では違いますけど、デジタル・ダンスホールと言えば、そう言えるかもしれないですね。えー、というわけで、今日は長い時間色々とお話を聞かせてもらって有り難うございました。失礼な質問も多くてスイマセンでした・・、


いえいえ、こちらこそ。




文責:八幡浩司(24x7 RECORDS)


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2007 RELEASED
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